自分の理想に近づこうとする努力 ~ダイエット企画番外編~

自分の理想に近づこうとする努力 ~ダイエット企画番外編~

第三弾まで続けたダイエット企画ですが、第一弾の記事では、ダイエットと筋力トレーニングの始め方について、第二弾では、ダイエットの成果とその中身についてまとめました。そして、第三弾では、トレーニングを始めてから起こった身の回りの習慣の変化について書きました。

筋トレ関連の記事をこれ以上書くつもりもなかったのですが、割と好評であったということと。先日とある友人の一人から、「自分も始めたいんだけれど、どうすればいい?」というような相談を受けて、自身の体験とやり方、なぜトレーニングを続けられているか、をフラットに喋った時に改めていくつかの気付きがありました。

番外編ということで、これまで書いたことをなぞりながら、トレーニングと生活習慣の改善について、まとめていきます。

すべては目的を達成するための手段である

そもそもなぜ私がトレーニングを始めようと考えたか。それは、妥当性の追求にあります。

弊社は、クライアントやサービスとユーザーとの間に最適なコミュニケーションの形を提案することを生業としている小規模の会社です。そこに心身がだらしのない人が介在した場合、とても優れた響くデザインやサービスだとしても本来の価値が正しく伝わらないことがあり得るのではと考えました。同時にそれはとても大きな損失ではないかと。

例えば、大切な人と池袋サンシャインの高層階にある夜景がきれいなレストランで食事をしているとします。このレストランは料理も美味しいと評判のお店です。ところが、料理を運んでくれたウエイターのシャツがヨレヨレでシワだらけでした。どう感じるでしょうか。

どれほど気の利いた丁寧な接客をするウエイターさんであっても、「なんだかもったいない」という感想を抱くはずです。これらはすべて掛け算で評価が決まります。「お店の雰囲気×料理×接客」の点数がどれだけ高くても評価が0が一つでもあると0点になってしまうのです。この悪い意味での認知的不協和を避けるためには、一貫した妥当性が必要になります。

つまり、自分のフィルター(人間性や表現、伝え方)でレバレッジをかけるために、客観的に妥当性のある外見を手に入れることが必要だと考え、その目的を達成する手段として、トレーニングを自らで選択したということにあります。

現在、トレーニングを習慣化するということを最終目的として掲げていますが、重要なのは、痩せることを目的にしないこと。目的を達成するための手段とすることが継続の要因になるのだと考えています。

ホームページ制作の切り口で、デザインの妥当性について詳しく書いた無料の冊子がありますのでご興味がある方はそちらもぜひ参照してみてください。

https://zoom-design.jp/blog/notes/post-647/

「外発的なやりたい」は「続かない」

前段の話を踏まえた上で、体を変える理由と目的を明確に答えられる人は、9割達成しているといっても過言ではありません。残り1割はいつまでに何をどうするという仕組みをただこなすだけだからです。

逆に「なぜ痩せたいと思っているか」「なぜトレーニングをしようと思っているか」ここがはっきりしない人はそもそも筋トレなんてやる必要がないし、時間の浪費をするだけなのでやめた方がいいでしょう。

動機には外発的なものと内発的なものとがあり、外発的な動機は継続性がありません。外発的な動機付けによるダイエットの理由として分かりやすい例は、「太ったと言われた」「医者に運動した方が良いと言われた」などでしょうか。

仕事でも勉強でも同じことが言えますが、人は自分でやりたいことを選択しないと(内から湧き上がる動機でないと)やり続けることが苦痛に感じて、いつしかやらない言い訳をするようになって結局やめてしまいます。

しかしながら、外発的な動機がきっかけであっても意識改革によって、内発的な目的と理由の設定をすることも一方で可能だと思います。それには、心の声をしっかり聴くことが必要です。

痩せたいと思ったのは一時の感情なのか、なんで痩せたいと思うのか。何のために痩せるのか。ここをもっとしっかり掘り下げて言語化していくと、自己実現の通過点だったりするかもしれませんし、痩せる必要なんてなかったりするかもしれません。

自分の理想に近づこうとする努力が力を生む

まだまだ4ヵ月程度で、大それたことは言えませんが、しばらく続けた筋力トレーニングが及ぼす精神への効果について、振り返って考えてみました。

筋トレをオススメする記事などでは、「自己肯定感が増す」「自信を持てるようになる」という言葉がよくよく見られます。これは、確かに間違いではないのですが、私なりにかみ砕いてお伝えしたいと思います。

言い換えるとそれは、「自分の理想に近づこうとする努力を通して、自分が在りたい自分でいられるようになる」ということ。

習慣化による副産物的な効果で確かに自己肯定感が高まりますし、肉体をコントロールすることで自信が持てるようになると言えます。しかしながら、元来自分に自信がない人がどれだけ外見が変えようが人としての性格はさほど変わるものではないのです。

アドラー心理学的な見方をすると、外見が悪い、太っているから自信が持てないというのは、自信を持てないという言い訳に外見の理由を持ち出していているからで、「自信と外見は必ずしも=ではない」のです。

さいごに

お気づきになった方もいるかと思いますが、自分の理想に近づこうとする努力はなにもトレーニングだけではありません。日々の仕事やプライベートの趣味でも同じことが言えます。

大事なのは、「理想に向かって努力をし続けた先にある成果とそのプロセスを正当に自己評価できるか」という点にあります。

筋トレは数字や外見の変化を含めた理想と現実の差分が見えやすく、かつ、すべてを自己で完結できるので評価しやすい。ということが多くの人に採用される理由です。これは単なる手段でしかないのです。

あなたは自分を正しく評価できていますでしょうか。やりたいことや理想がぼんやりしているという方は「やりたい事」の種子について書いてあるこちらの記事を参照してみてはいかがでしょうか。

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