ドラッカーとポーターで読み解く渋沢栄一の『蟹穴主義』と競争優位

ドラッカーとポーターで読み解く渋沢栄一の『蟹穴主義』と競争優位

渋沢栄一の著書『論語と算盤』の中で『蟹穴主義』という彼の信条について記された箇所がある。

世の中には随分自分の力を過信して非望を起こす人もあるが、あまり進むことばかり知って、分を守ることを知らぬと、とんだ間違いを惹き起こすことがある。私は「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」という主義で、渋沢の分を守ることを心がけておる。

『論語と算盤』渋沢栄一著(角川ソフィア文庫)

これだけを見ても、一体何が言いたいのかイマイチ的を得ないだろうと思うが、この前の文脈では孔子のエピソードを例にとり、『忠恕』の思想──自分の良心に忠実であること、他人に対する思いやりが深いこと(コトバンクより引用)──に関する記述がある。

それと合わせて見れば、何となく「誠意を尽くして事業にあたるべきだ」みたいなことが言いたいのかと読める。

しかし──他の節と見比べても、当該の節はあまりに言葉少なく、私は同書を幾度と読み返しているが、長いこと腑に落ちないでいた。



難解な『蟹穴主義』

『蟹穴主義』をストレートに読むと、それは「身の丈を守ることを知れ」という事になる。

しかし「身の丈を知る」とは一体どういうことなのだろうか。自分の能力を弁え、分を守り、謙虚でいることが起業家として大切なのだろうか。

それではとても、新しいことを創り出す“挑戦”が生まれ出るようには思えない。渋沢栄一は如何にして、そのようなマインドで500にも及ぶ企業や組織を生み出したというのだろうか。

渋沢栄一自身の言葉でも、その直後に

そうはいっても、身の丈に満足するからといって、意欲的に新しいことをする気持ちを忘れては何もできない。

『論語と算盤』渋沢栄一著(角川ソフィア文庫)

と記されている。

この後にも、精神的なアドバイスはあるものの、渋沢栄一の口から細かな説明はない。ちなみに、この節のまとめとも言える最後の文章はこうだ。

私の主義は誠心誠意、何事も誠をもって律すると言うより外、何物もないのである。

『論語と算盤』渋沢栄一著(角川ソフィア文庫)

ひょっとして彼自身の主張も大してまとまっていないのでは?と不安な気持ちにさせる。

このこともまた、『蟹穴主義』の解釈を難しくしている。

ではこの『蟹穴主義』、一体どう解釈すれば、起業家にとって、事業家にとって腑に落ちる内容になるだろうか。

その答えは「身の丈」という単語を“どう読むか”にあるのではないか、と私は考える。

マイケル・ポーターの戦略的ポジショニング

話は変わるが、『競争戦略』といえばマーケティングを扱う業界にいて知らぬ人はいない言葉だろうと思う。

単語自体がシンプルなので、これまでに色々な使われ方がされてきたと思うが、元を正せば、ハーバード大学経営大学院教授マイケル・ポーターのものという認識で相違ない。

競争には5つの要因がある。詳しい内容は本題と逸れるので今回は省くが、競争戦略では、それらを如何に防御、あるいは回避するかという視点で論理が展開されている。

そして、いくつかの方法論が提示されている中で、戦略の最も重要な目的は“ポジショニング”となる。競争優位の作り方は“独自のポジショニング”にあり、それが事業の競争を回避し継続的利益に繋がる、といった論法で現在でも多くの事業者に親しまれ、活用されている。

ではその“独自のポジショニング”とやらは、どうやって実現すれば良いのだろうか。

特に起業家にとって、真っ先に思い浮かべる手立ては「そもそも競争要因の少ない、ないし競争が始まっていない業界の選択」となるだろう。
有り体にいえば、「どれだけ儲かりそうな業界に参入するか」が、最も肝要だと考える。

そもそも競争になるリスクの低い事業を選ぶというのは、ある意味正しすぎるほど正しい。マイケル・ポーターの競争戦略でもいくつかの方法論が論じられている中で、これもその一つだ。

しかしここでもう一度、渋沢栄一の『蟹穴主義』を思い出して欲しい。
彼の思想は、その正しさを手放しで推奨しているだろうか。

ピーター・ドラッカーの事業の定義

渋沢栄一が深く影響を与えた人物の1人にピーター・ドラッカーがいる。

『マネジメント』を発明した経営学者であり、彼もまた、知らぬ経営者を探す方が難しそうな有名人だ。

ピーター・ドラッカーは著書の中で、事業の定義を以下のように表している。

知識が事業である。

『創造する経営者』ピーター・ドラッカー著(ダイヤモンド社)

この定義がどういった文脈から現れたのかと言うと、肉体労働者中心から知識労働者中心への社会的変化という話から派生している。

産業革命以降およそ200年間、人類社会の経済は肉体労働者が中心だった。しかし時代は変化し、現在では知識労働者が中心の社会となっている。

この“ピーター・ドラッカーの予言”ともいえる予測は、現代を生きる我々には殊更深く腹落ちすると思う。

そして、知識労働者が中心となった社会ではまさに「知識が事業である」と言える。ピーター・ドラッカーは次のように続ける。

事業とは、市場において、知識という資源を経済価値に転換するプロセスである。

『創造する経営者』ピーター・ドラッカー著(ダイヤモンド社)

「そもそも競争要因の少ない、ないし競争が始まっていない業界の選択」「どれだけ儲かりそうな業界に参入するか」にフォーカスして成功するシンプルなモデルは、もはや昔話と言っていいほど埃をかぶった。

ピーター・ドラッカーの言う、知識が事業となる現代においては、“真に己を発揮できる事業”を見つけ、如何に“意識を集中的に投射できるか”が競争優位を決定づける“独自のポジショニング”となる。

「己を知る」ことで得る競争優位

ここまできてようやく、渋沢栄一が語る『蟹穴主義』の真意に触れることができた。

渋沢栄一の言う「身の丈を知る」とは、「謙虚に振舞え」といったような狭義で捉えるのではなく、もっと広い意味で「己を知る」と解釈することで、真を推し量ることができる。

自分のルーツは何か、
興味のあること、好ましいことは何か、
あるいは好ましくないこと、憤りは何か、
そして一生を賭して守り抜きたいこと、
一生涯かけて行える事業とは何か。

これらも踏まえて、己を知り、己の誠に誠実に、蟹のように自分の身の丈に合わせて穴を掘り、そこに生涯をうずめて励めと、そう言っているのだ。

事業の成功は生半可ではない。それはピーター・ドラッカーの言うように、肉体労働者中心から知識労働者中心へ社会が変化した今──卓越した専門性が価値となる今──ではなおのことだ。

そんな困難に立ち向かうためには、極大のパワーが必要になる。他者を圧倒する集中力が必要になる。

それを実現するためにも、『蟹穴主義』は心に携えておくべき教訓なのだ。

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