偉人と凡人との最大の隔たりは才能ではない

偉人と凡人との最大の隔たりは才能ではない

偉人と凡人の差とはなんだろうか。

ノーベル賞を受賞した科学者や金メダルを獲得したアスリート、あるいはメディアを横断する大ヒットを記録した作家を目にした時──そんな偉業を目の当たりにして、私たちは反射的に「すごい才能ある人もいたものだ」と感嘆してしまう。

この人はきっと幼い頃から高い知能があったり、人と違ったモノゴトの見方ができたり、寝食を忘れるほどの集中力があったりしたのだろう。もちろんそこに努力がなかったとは言わない、しかし努力できる素養も優れていたに違いない。

そう、彼は非凡だったのだ。我々凡人とは根底から異なる、いわゆる『天才』ってやつだ。

文字にすると少々わざとらしいが、偉人をどこか異形の──普通から逸脱した存在として認識してしまう思考回路に、少なくとも心当たりくらいはあるのでなないだろうか。



成功のために後天的に育める能力

今から5年ほど前に『GRIT(グリット)』という言葉が話題になった。

『GRIT』は、アメリカの心理学者アンジェラ・ダックワースが研究する、才能でもIQでもない、成功者が共通して持つ重要なファクターであり、日本では『やり抜く力』と訳されている。

以下は、その研究の中で使用されたグリット・スケールと呼ばれるもの。

当てはまる数字の合計を10で割った数がグリット・スコアとなる。面白いのでよかったらやってみて欲しい。

『やり抜く力 GRIT』アンジェラ・ダックワース著(ダイアモンド社)


グリット・スケールには、“情熱”“粘り強さ”という二つの指標がある。奇数の設問の合計値が“情熱”のスコアとなり、偶数が“粘り強さ”のスコアとなる。

ちなみに、アメリカ人の平均は3.8らしい。
私は3.6で、内訳は情熱が4.0で粘り強さが3.2だった。

主観の評価なので、性格や国民性によって結果が揺れてしまうし、大規模な統計として以上の意味は認めない方が良いと思うが、“情熱”と“粘り強さ”と分けた時の偏りに限っては、個人のデータとしていくらか間に受けても良さそうかなと思う。

ダックワースは「偉人の成功に最も寄与している能力は、才能でもIQでもなくこの『GRIT』だ」という仮定のもと研究を進めており、実際に教育やスポーツ、ビジネス界でも多大な注目を集めている。

言っておくが、これに便乗して「偉人と凡人の差はGRITのスコアだ」というのが今回の結論ではない。

あくまで、DNAとか才能とかといった先天性の素養ではなく、こういった後天的に育める能力が成功を決定づけているという見方もあり、研究があり、その論理が学際の場・実業の場問わず一定の評価を受けているという事実を、まずは提示しておきたい。

“がんばる”は、困難に取り組むことに適していない

個人の意見としては『GRIT』でもまだ、実態よりややマッチョ過ぎると感じる。

同書の節々で、体育会系の事例をもって解説が進められているせいかもしれないが、グリット・スケールの設問を眺めていても、文字列の裏に“鉄人”とか“修行僧”のような『努力と忍耐の人』の顔がチラつく。

もちろん努力と忍耐が必要ないと言うつもりはないし、偉人の偉業や成功者の成功の裏に努力も忍耐もなかったなどとも言わない。

しかし、偉業を成した科学者やオリンピック選手や経営者のインタビューなどを見ていると、一般イメージ通りに「辛くて何度も挫折しそうになった」と答える人がいる一方で、「好きでやっていたことなので辛いと感じたことはない」と答える人もいる。

この事実を受けるに、うんざりする程の苦しみを乗り越えることだけが、成功の秘訣ではないことがわかる。

思うに彼らの中には、人によっては苦行や努力に見えることを『当たり前のこと』として難なくやり切ってしまうマインドセットがある。

これは、ダックワースの同著の中でも記述があったが、瞬発的に高いエネルギーでモノゴトに取り組むことは、困難を乗り越えるためには必ずしも推奨されることではない。

どういうことかと言うと。

情熱や根性でやり遂げようとすると、エネルギーを高く保たなければならなくなる。必然的に、モチベーションを高く保つためのエネルギーも確保しなければならない。
途中で頓挫した時のショックも大きいので、心理的エントロピーと張り合うだけのエネルギーも欲しい。そもそも一度の行動も重いので、毎度行動開始前に覚悟を決めるエネルギーも使う。

ご覧の通り、いかにも燃費が悪い。

故に“がんばる”という向き合い方は、困難に取り組むことに適していない。

ただでさえ一筋縄ではいかない困難に、向き合うだけで毎度これだけのエネルギーを消費していては、直ちに磨耗してしまう。

そこで偉人や成功者は『困難との、もっと適した接し方』をしている。

困難とは“粛々と”接する

例えば目の前に400ページにも及ぶ長大な学術書があるとする。特に仕事で必要だとかレポートに使うとかではなく、半分趣味で購入した本である。

興味があって買ったのだから読みたいが、専門的で難解な内容で、文字も通常の本より小さくビッシリ敷き詰められている。
表紙をめくるだけで面くらい、読み始めるのも覚悟がいる。それに必要に駆られているわけでもないし、どうせならまとまった時間がある時に手をつけたい。

そうこうしているうちに購入から半年がすぎた。

いきなりスケールが小さくなってしまって恐縮なのだが、身近な困難として一例挙げさせてもらいたい。

このような経験は誰もが身に覚えのあるものだと思う。現に私自身、そのように後回しにしている本が数冊、今もすぐ左隣に積んである。

これを、モチベーションが整うのを待って、高いエネルギーで読みきろうとすると、きっといつまでたっても表紙をめくる日は来ない。
運よく最初の数ページに手をつけることができたとしても、その情熱を読破するまで数日持ちこたえる難易度は極めて高いことは、想像に難くないと思う。

かわって、毎日たったの15分、1日10ページだけ読み進めようと考えると、そのくらいの時間ならどうとでもなると思える。読破までには1ヶ月半近くかかってしまうが、いつ読み始めようかと半年逡巡していた期間と比べたら1/4で済む。

“困難”と言うには話のスケールが矮小なのは重ねてお詫びするが、『困難との適した接し方』はイメージし易かったかと思う。

今まで見聞きした偉人や成功者の言を集めると、彼らは総じてコツコツと──見ようによっては“粛々と”困難に向き合って、今より一歩でも半歩でも、少ない距離でも毎日着実に歩を進めることに長けている。

偉人のマインドセットを身につける

偉人と凡人の差とはなんだろうか。

これを、天から与えられた才能のような、生まれながらの非凡な素質と見てしまうと、それはしばしば過剰なバイアスとなって、知らず知らずのうちに自らの足枷になる。

あの人は天才だから、自分には才能がないから、そんな実体の掴めない霞のような線引きで自分を過小に規定してしまっては、些かもったいない。

偉人と凡人の間に、生まれながらの差なんてものはほとんどない。

いやあるだろと言うのなら、そもそも私たちは誰一人として同じではない。しかし、その差異と偉業達成との間の相関関係は極めて小さいと言える。

偉人と凡人との違いをあえて挙げるのなら、それは恐らく“困難との正しい接し方”ができているか否か、これまでに学んでこられたか否かだろう。

困難には粛々と接するのが適している。

しかし、凡人は要領よく一足飛びしようとしたり、小手先でどうにかできないかと変に色気を出したりしがちである。

それを試行するのならばまだ良い。

自分は知らないけれど要領よく一足飛びする方法があるはずだ、小手先でどうにかする方法があるはずだと、ありもしない方法を夢想しながら、その場から一歩も動けなくなってしまっている人もよく見る。

凡人から脱し、困難に向き合い、それを乗り越えられる人間になるには、適した接し方を知り、実践することが肝要だ。

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