豊かに働き幸福に暮らしていくための「やりたい事」の種子

豊かに働き幸福に暮らしていくための「やりたい事」の種子

以前、日本一の投資家として有名な竹田和平氏のインタビューで“御先祖様の人数を計算してみた”というくだりがあったことを、ふと思い出した。

両親で2人、それぞれ方の祖父母も入れ4人。こうして10世代分、20年で1世代としてざっと幕末くらいまで遡ると直系血族だけでも2の10乗で1024人になる。ちなみに27世代まで遡ったところで現在の日本の人口約1億3千万より一個人の祖先の人数が上回る。

さらに初代天皇である神武天皇が即位した2680年前(日本紀年)まで遡ると、もう目を回すほどの数字になる。1兆人とかそんなレベルではない。まさしく“次元が違う”ので興味がある方は一度計算してみてほしい。

言われてみれば当たり前に算出される数なのだが、こう敢えて具体的に見せられると一瞬目を疑ってしまう。

この話の帰結がどこへ向かったのかは、あまり明確に覚えていないのだけれど、確か「これだけの人数の祖先がいるということは、どこの誰であろうが元を正せばほぼ縁者だよね」みたいな感じだったかと思う。

長く単一民族として栄えてきた日本人特有の発想な気もするが、この話を聞いて身近でない人にも妙な親近感を覚えたことを記憶している。

人は父と母、二者の血を受け継いでこの世に生を受ける。そしてその組み合わせは上記の様に天文学的なバリエーションに富み、一部の例外を除き二つとして同じ個体は存在しない。

それが今回の標題となんの関係があるのかというと、その唯一性こそが自分の中に「やりたい事」の種子を見つける大きなヒントになるのではないかと私は考えている。



ルーツから生まれる唯一性

企業のブランディングを行う時、まず最初にやる事は何かご存知だろうか。

商品分析?
競合調査も必要?
はたまたユーザーアンケートか?

意外に思うかもしれないが、まずはその会社の歴史を調べる。歴史が浅い、もしくは創業したてで歴史がないのであれば、創業者自身の歴史を調べるので、このステップに例外はない。

日本有数のブランディング会社として名高い博報堂デザインの永井一史社長も「ブランドの本質は見えない部分にある」と説き、歴史性分析をまず最初に行う重要なインプットと位置付けている。

歴史を紐解き、ルーツを探ることによって見えてくるのは、その企業「らしさ」。その企業の唯一性である。これは我々の血と同じく、二つとして同じものは存在しない

そしてブランディングとは、それを見えるカタチやコトバに落とし込む点に重要な価値がある。

ブランディングによって見える化された「らしさ」は、もちろんマーケティング的にも絶大な効力を発揮するのだが、もう一方で、その企業で働く人達にとっても極めて重要な意識変革をもたらす。

自分の働く会社がどんな歴史を辿って、どんな想いを守ってきたのか、そんな想いでどういった未来を描いているのか、そして自分が働くことは、その未来や社会にどう関わっているのか、もしくはこれから影響していけるのか。

そういった自覚が芽生え、もしくはふんわりした状態で止まっていた“想い”が明確に言語化され、表情が変わった人たちを何人も見てきた。

これは企業のブランディングに限った話ではない。

大学生の相談を受けていると「やりたい事がなかなか見つからない。長谷川さんはどうやって見つけましたか?」みたいな質問が飛んでくることがある。

あなた「らしさ」はその出生の独自性によって既にあり、「やりたい事」も同じく既にある。自覚できてないのだとしたら、まだ花開いていないのかもしれない。けれど、歴史やルーツを紐解いていけば、その種子は必ず存在している。

冒頭では先祖代々まで遡ると…みたいな少々大仰な話をしてしまった。

もちろん家系の歴史もその人自身のルーツなのだから関係はするが、「やりたい事」の種子は大体遅くとも誕生から20年の内早ければ幼少期には刷り込まれている。

幼少期の記憶から種子を紐解く

例えば私のルーツを辿るとしよう。

父はデザイナーで母は編集者という一家の長男として生まれた。ちなみに父方の祖父は学校の先生で祖母は専業主婦。母方の祖父母は共に洋服の仕立屋さんだった。そんな系譜を持っている。

小学校の頃は、父に給食用のランチオンマットにエヴァンゲリオン初号機の絵を書いてもらい友達にドヤ顔するような子供だった。多分この時、白紙に何か(この場合は絵)を生み出すという事が価値になると刷り込まれたのだろう。

中学生になると、友人や先生に絵を描いてプレゼントするのが趣味になった。美術の授業は常に誰よりも結果を出そうと努力し、最高評価以外の数字は見たことがない。担当の先生にはしこたま可愛がられた記憶がある。

この頃には、とあるイタズラを敢行するのが一つの楽しみになっていた。イタズラといっても、誰かを嵌めたり貶めたりするものではない。友人と共謀し、放課後誰にも見つからないようにフロア全ての教室の黒板をピカピカに磨くのだ。
当然自分の所属するクラスの先生の反応しか見ることはできないが、朝一のホームルームで担任の驚く顔を見るのが好きだった。

このイタズラは徐々にエスカレートして、最終的には私の所属する学年の廊下だけ毎日ピカピカになった。私はきっと自分の発想や考案したことで、誰かが喜んだり驚いたりする所を密かに眺めることに満足を得る気質だったのだろう。

もちろんポジティブなものばかりではない。

私は口をつけば屁理屈を捏ねて大人を困らせる子供だった。たぶん当時の場面を端から見ることができたなら「反抗期を絵に描いたようなヤツだな」と評価するに違いない。

特に反抗的になったのは、校則など決まり事を強制されることに対する憤りだった。

これまた教科書通りと思うかもしれないが、中学生の頃は髪を脱色したり制服を着崩したりしてよく先生に注意されていた。そして、それに関しては全く聞く耳を持たなかった。

正当な理由の説明も無しに「校則だから」の一点張りでその順守を強制してくる指導に腹を立てていた。もしこれが論理立ててその必要性を説明されていたら、きっと従ったに違いないが、それができる先生は中学3年になるまで現れなかった。

ちなみにその時の担任の説明は「校則自体の良し悪しを論じているのではない。規則を守る事の重要性を指導しているのだ」というものだった。当時は「一理ある」と思って大人しく校則を守るようになった。

この反発の源泉は、おそらく「公正」に強い関心があったのだろうと思う。そのため、校則や法律などの決まり事が実状的に公正を欠いていた場合、嫌悪感と反発心を抱いていたのだろう。

一見して種子になり得る要素はなさそうに思えるネガティブなポイントも、強い原動力として表層に顕在化している時点で、そのポテンシャル的評価には一切影響しない。

炙り出されるヒューマンニーズ

人には、シックスヒューマンニーズと呼ばれる6つの欲求があると言われている。

これに関してはまた別途詳しくまとめたいので、ざっくり説明すると…

「自由」「正義」
「安定」「刺激」
「成長」「貢献」

が、その6つの内訳になる。

人は誰しも、この6つの欲求を大なり小なり有している。そしてほとんどの場合、1つから最大3つの欲求に傾向しているのだが、私はこのうちの「正義」と「貢献」に高いレートが割かれている。

絵を描いてプレゼントする、教室の黒板を磨くの2つは「貢献」のヒューマンニーズだったのだろう。校則を破ったり、先生の指導に背いたりしていたのは、先にも言った通り、意外にも「正義」のヒューマンニーズだったのだ。

この時点で私の「やりたい事」はかなり明確に言語化できた。

「やりたい事」を探す時の二つの大きな勘違い

やりたい事は?と問われると、多くの人は2つの勘違いによって、見当違いを起こす

−−−−−− 一つは、未来を浮かべる

「やりたい」というその言葉自体が未来形で、先の時間軸を指しているのだから仕方ないのだが、やりたい事を探るには未来ではなく過去を思い返してみなければならない

新たに生み出したり見つけ出さなければならないと勘違いしていると、闇雲に陥る。やりたい事は既に形成されている自己の中から見つけ出すものと認識を改める必要がある。

−−−−−− 二つ目は、素直に「やりたい事」だけ考える

これの何がいけないのかと思うかもしれないが、やりたい事の種子は実は「やりたくない事」にも多く含まれている

さらに、やりたい事は煩悩や欲望が邪魔をし、実に見えにくい。一方、やりたくない事はシンプルな場合が多いので、こちらから探ってみると意外と簡単に見つけられたりする。

「やりたい事」を無意識に押さえつけてはいないだろうか

既にお気づきかと思うが、ここで言う「やりたい事」とは具体的な職業のことではないし、ましてやお金持ちになりたいとか有名になりたいとか、そんなチャチな話でもない。

もっともっと根本にある、折ることのできない強い欲求。その人の骨子。それが真に「やりたい事」なのだ。

自らの歴史を棚卸し、ルーツを紐解くと種子が見えてくる。それらをヒントに「やりたい事」を言語化する。

運が良ければ、それが実際に就くべき職種に直結することもある。もし直接的に繋がらなくても、その想いを自認してさえいれば、どんな職に就こうが、やりたい働き方を目指すことができるし、それが出来ない会社であれば、その判断も直ちにできる。

そういった自分にとって最も重要な事項を発見しておくことは、豊かに生きるために必須の条件だ。

いくら大金を稼ぎ出していても、「やりたい事」を自覚せず無意識にでも押さえつけて働いている限り、絶対に幸せに到達できない。

そしてその「やりたい事」は、あなた自身が成長する上で確実に育まれているものであって、作ろうと思わなければ存在しない、探そうと思わなければ存在しないものではない。なので自覚しないままでいると、それを押さえつけてしまう危険性が極めて高い。

幸福を望むのであれば、自分の歴史の棚卸しで、あなたの唯一性の中から、あなたらしい「やりたい事」を見つけ出すことをオススメする。

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