ハチとてんとう虫と非合理な選択

ハチとてんとう虫と非合理な選択

以前、『セミと素数と宇宙の不思議な関係』という記事で、人が追求した合理的な答えをすでに自然界で実践している生物がいたという話をした。

いまだ人類が解明できていない素数を使って生き残ったセミ。そして、宇宙空間で展開させるソーラーパネルと、セミをはじめとする昆虫の羽や植物の葉の構造が酷似していた、という内容であった。

今回は、合理的であることが正しいと考えるのは非合理だとも言える。ということをハチとてんとう虫を例に書いていく。

ハチの巣はなぜ正六角形なのか

あの小さなハチは、人が手書きで綺麗に書くのが難しい複雑な正六角形を整然と立体で並べる。自然の造形美に目を奪われた人も多いと思う。

なぜ、このような複雑な形をハチが採用したのか、疑問に思う人も多いのではないだろうか。

ハチの巣はハニカム構造と言われる。ハニカムとはその名のとおりハチの巣という意味であり、正六角柱を隙間なく並べた構造である。この構造は、身近なところではダンボール、飛行機やロケットの部品としても使われていたりする。

正六角形である理由は以下のとおりだ。

・一種類で隙間なく平面に敷き詰められる正多角形(各辺の長さが同じ図形)は、正三角、正四角、正六角しか存在しない。
・正三角、正四角、正六角の面積が同じ時、外周の長さは正六角形が一番短い。
・辺の数が多ければ多いほど力が分散して壊れにくい。

一匹のハチが生涯に集められる蜜には限りがあるため、「いかに広い部屋を」「いかに低コストで」「いかに丈夫に」作った結果、最も合理的な正六角形を採用したと考えられている。

当然、後からこれらが証明されたのだが、これが「ハチの巣が正六角形である理由」にはなっていない気がするのは私だけだろうか。

なぜなら、ハチがなぜこのような精巧な巣作りをできるようになったのかは実際誰にも分からない。

他生物や他種との生存競争の中で、最も効率が良かった今の形を採用した種のみが生き残ったとも考えられるし、進化の過程で自然と体得していったことも否定はできない。

もしかすると、「△は窮屈でかわいそうじゃない…?」「□はデッドスペースが多くてもったいなくない?」なんてハチ同士で会議が行われていたかもしれない。

とあるてんとう虫の非合理な行動

自然界の生き物の中で非合理な選択をするてんとう虫がいる。成虫では見た目がほとんど同じのナミテントウとクリサキテントウという別種のてんとう虫。

ナミテントウはどこにでもいるてんとう虫で、いろんなアブラムシを食べる。一方、クリサキテントウはアカマツやクロマツといった松類にいて、松類にいる特定のアブラムシしか食べない性質がある。成虫の見た目がそっくりだからナミテントウしかいないとずっと思われていたらしい。

そんなクリサキテントウについて調べてみると色々なことが分かった。

・ナミテントウと同様、クリサキテントウもいろんなアブラムシを捕食して問題なく成虫になれる。
・松類にいるアブラムシは特筆して栄養価が高いわけではなく、むしろその他のアブラムシと比べると低い。
・松類にいるアブラムシはその他のアブラムシと比べて足が早く捕食しにくい。

これまで、昆虫も我々哺乳類と同じように、栄養価や捕まえやすさといった指標から、合理的にエサを選んでいると考えられてきた。しかしながら、クリサキテントウは一見すると非合理な選択をしているように見受けられる。これは一体なぜか。

答えは、繁殖干渉にあると考えられている。

ナミテントウとクリサキテントウを一緒の飼育環境で生活させると、それぞれのオスは異種に対しても交尾を仕掛ける。異種同士で交尾をしても子孫を残せないが、後先関係なく、一度でも同種と交尾すれば卵を産むことができる。

ただ、不思議なことにクリサキテントウだけが同種での交尾をしにくくなったことが明らかになった。オスがメスを見分ける能力に差がありそうということまでで、詳しいメカニズムは分かっていない。

この実験から分かることは、繁殖干渉を避けるために敢えて不合理なエサ場を選択し、棲み分けをしているという仮説。これを裏付ける一つの根拠として、地方分布による生息地の違いがある。

本州や四国、九州ではナミテントウもクリサキテントウも広く分布しているから上記の棲み分けの現象がみられるが、沖縄などの南西諸島ではクリサキテントウしか分布していない。ここでの生息地を見てみると、松類以外の木でも普通に暮らしていたのだ。

クリサキテントウは、自分たちに有利とはいえない非合理な選択をすることが結果、合理的だったのだ。

選択に合理性を求めることは必ずしも正解ではない

ハチの合理的な巣作りの最初が誰にも分からない以上、また、クリサキテントウの非合理で生き残った結果がある以上、選択に合理性を求めることは必ずしも正解ではないことが分かる。

そして、 合理的なものは効率的で唯一無二の答えのように受け取られてしまうが、一方で環境や構造が変われば途端に破綻してしまう、とてもあやふやで不確実なものとも捉えることができる。

進化と革新の違いは連続性があるかどうかだと言われる。言葉遊びのようになってしまうが、合理の追求は進化を生む一方で革新的な何かは生まれない。非合理の選択から革新が生みだされるとも考えられないだろうか。

そう考えると、合理的か否かではなく、非合理の中に隠された合理。非合理の中にこそ答えがあるかもしれない。

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