セミと素数と宇宙の不思議な関係

セミと素数と宇宙の不思議な関係

9月下旬になり、今年の夏も終わりを迎えようとしていますが、夏になると思い出すセミに纏わる2つの話をご紹介します。

地面に転がって死んでいると思ったらいきなり羽をバタつかせたりと、その存在を苦手とする方も多いセミですが、これを読み終わった後、もしかすると少し興味が湧いているかもしれません。

“素数”で生存競争を勝ち抜いたセミ

北米に、17年と13年ごとにある特定の狭い地域でセミが大量発生するのをご存じでしょうか。

彼らは「素数ゼミ」と呼ばれています。長い期間を地中で過ごし、13年または17年という決まった周期で地上に這い出してきて繁殖する変わったセミです。

短いもので1~2年、長い個体でも4~5年と言われる日本のセミとは違うサイクルで生きている「素数ゼミ」ですが、なぜ17年と13年なのか。それは、今日まで生き残っているその理由が関わっています。

13と17は素数で、素数とは「1とその数自身でしか割ることができない数字」。

実は、もともと12年周期のセミもいれば、14年のセミもいたことが化石の調査で分かっているのですが、今現在土中で長い期間を過ごすセミは13年ゼミと17年ゼミしか残っていません。これは違った周期のセミの繁殖期の重なりにあると考えられています。

周期の違うセミ同志が交配するとその子供は地上に出てくる周期が枝分かれしてしまい、徐々に次回以降の数を減らしていきます。決して短い期間とは言えない“数十年に一度”という交わりを何百年と繰り返すうちにいつの間にかその姿を消してしてしまったのです。

一方、13と17の周期だった素数ゼミはというと、他のセミと周期が重なる“最小公倍数”が非常に大きな値になるため、交雑によるバグを少なく抑えられたので、今日まで生き残ることができたというワケです。

素数は小さい順に、2、3、5、7、11、13、17、19、23、29…と続きますが、その分布や配列パターンは未だ謎に包まれており、2000年以上も解明されていません。しかしながらこの素数、実は我々の身近なところで、クレジットカードやインターネットのセキュリティ対策として使われているのをご存じでしょうか。

技術や化学の発展を遂げた人類が長い歴史をもってしても解明できず、だからこそ現代の情報社会における重要な暗号の鍵になっている素数を、結果論とはいえ、あの“セミが体現している”というのはとても面白い話だと思わないでしょうか。

宇宙とセミの不思議な関係

セミの話でもう一つ。10年以上前にNHKで放送していた爆問学問という番組の話です。

この番組は、お笑い芸人の爆笑問題が一般人にはあまり馴染みのない、ちょっとマイナーだったりニッチな学問を研究している学者さんを招いて、話を面白可笑しく聞いていくというもので、非常に記憶に残っているのが宇宙構造工学の三浦公亮先生の回です。

宇宙構造工学と聞くと、なんのこっちゃとなってしまいますが、構造物の強度、要するに人工衛星のアンテナやソーラーパネルを研究している方です。

なんだソーラーパネルかとお思いかもしれませんが、侮るなかれ。10メートルにも及ぶ大きなパネルを宇宙に打ち上げるにあたり、できる限り省スペースに収めるために小さく折りたたみ、かつ、過酷な宇宙空間において、壊れないように無駄をなくし、効率よく展開ができる。そんな折り方を発案したすごい人でした。

折り目は平行四辺形を互い違いに並べたような形で、端と端を引っ張ると一瞬で広げられるその折り方は、宇宙開発において機械の構造を簡素化させる多大な可能性を示唆し、あのNASAも注目していたほど。

その折り方は発案者の名前をとって「ミウラ折り」と命名されているのですが、この話にはまだ続きがあります。

三浦先生がある時公園のベンチに座っていたところ、たまたま羽化真っ最中のセミが木にいるのが目に付き、何気なく観察してみると羽の構造がミウラ折りに非常に酷似していたことに気付いたのです。実は、形態変化を伴って羽化をする昆虫の羽や植物の葉っぱなど、自然界にミウラ折りの構造によく似た特徴を持つ生物が多数存在することがその後に分かりました。

「捕食される危険性が高い羽化の時間をできるだけ短くするために」
「他に先駆けていち早く葉を広げて太陽光を吸収するために」

生存競争の過程において、”効率よく広げる”という行為をずっとずっと前からその身をもって実践し、最善の答えを導き出していた生物が自然界にすでにいたのです。

探している答えは案外すぐ近くにあるかもしれない

何か一点に集中して、取り組むことも時には大切なことと思う一方で、人は往々にして視野が狭くなってしまいがちです。

“全ての道はローマに通ず”

目的までの手段や方法は、何通りもあること。また、一つの道理はあらゆることに適用されるというたとえですが、一つのやり方に固執し、執着するのではなく、たまには人の意見に耳を傾けてみたり、知らない土地や場所に足を運んでみたり、全く無関係と思えるところに思いを馳せてみたり。

この2つの話から、心に余白や余裕を持つことが大事なのだと気付かされたように思います。

ただ、やはりセミは苦手です。

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