量子力学的な見地から、物体はすべて振動しているということが明らかになっている。
人の目には静止しているように見えるものも分子レベルでは常に動いていて、波動を持っているというもの。波動がどうとかいうと、見えないものを見ようとするオカルト的な香ばしい匂いを感じてしまうと思うが、単に非科学的だと断ずるのは少し早いような気がしている。
言葉の不思議なチカラ
日本古来から、人が発する言葉には魂が宿ると言われている。いわゆる言霊というものだが、言葉は音であり、空気の振動で伝わる。
生活家具で有名なあのIKEAの企画で、二つの植物にそれぞれポジティブな言葉とネガティブな言葉を一か月間浴びせ続けるという実験を行ったことがある。実験の結果は以下のとおりだ。
左がネガティブ、右がポジティブである。
植物が、人が使う言葉の善し悪しを理解しているとは到底思えないが、音による振動や波動といったものが、物理的に何かしらの影響を与えていることは理解することができる。
これ以外にも、水に様々な音を聞かせた実験があり、その実験では、クラシックを聴かせると結晶が複雑で芸術的なシンメトリーの形になったり。また、ビンに密閉したご飯に同じ様に言葉を掛けると、感謝の言葉では程よく発酵が進み、罵倒では腐敗が進んだ、なんて検証結果があったりする。
炊いたご飯も植物も人体もほとんどが水分でできている。
確かにツッコミどころはたくさんあるかもしれないが、目に見えないものをスピリチュアルだと感情的に一蹴するのは世界を狭めてしまうことにならないだろうか。
目に見えていないもので世界はできている
人はなぜモノを見ることができるのか。それは目で光を映像化しているからだ。
しかし、人の網膜センサーは青赤緑の3色しか認知できない。いわゆる光の三原色だが、これは人がその三色しか認知できないから人が勝手に三原色と唱えている。
でも、なぜ、それ以外の色を人は認識することができるのか、それは脳の幻覚によって生み出されている。以下のように真ん中に仕切りを入れて左目で赤、右目には緑しか見えないようにすると不思議と黄色が出現するのだ。
光というのは電磁波の一種なのだが、人が見える可視光線は電磁波の周波数の中でも、ごく狭いチャンネルしかみることができない。つまり、人の見えている世界はとても狭い。これは、電磁波の周波数帯の図を見ると分かりやすい。
人が見ている可視光線は数ある電磁波の中の、その光の中でもごく狭い周波数だけだということがわかる。そもそもなぜ目には見えない電磁波がこれだけあることが分かったのか、それは測定する機械を人が発明したからである。
仮にもし、人がX線のチャンネルに合わせることができたら、常時人の体がスケルトンで見えたり。ラジオ波が見えればアスファルトなんて簡単に貫通するので壁の先を透視したり、受信装置なしでそこらへんに飛んでいるラジオや衛星放送を好き勝手見ることができるかもしれない。
同じ哺乳類のコウモリやイルカだって、超音波を使って世界を認識している。
人の見えている世界が真実であることに間違いはないが、それは人が認知できる、測量できる世界の範疇を超えない。
科学はこの数十年で大きな進歩を遂げたが、それは見えていること、知っていることだけ。ほぼ確実に、いや間違いなく、未だ認知の外側にある事象や道理はたくさんあるはずだ。
虫が見ている世界
身の回りにいる多くの昆虫達は、人の目には見ることができない紫外線領域の光を見ることができる。
なぜ、虫が明るい光に集まってくるのか考えたことがあるだろうか。実は、虫は空から降り注ぐ紫外線を背に受けて現在位置を確かめ、そこから斜め上方向に飛行する習性がある。光に集まる厳密な理由は、光の中に含まれている紫外線にあるのだ。
自動販売機や室外灯の一部には紫外線が含まれており、光源から全方向に照射されている。つまり紫外線を背に受けて斜め上方向に飛び続けるとどんどんと光源に近付いていくことになる。これが、虫が明るい光に集まってくる理由である。
もう一つ、人間の目に映る花には色とりどりな綺麗さがある。しかし、虫は我々人間とはまったく違う見え方をしているのはご存じだろうか。紫外線カメラで撮影した花を見てもらいたい。
注目すべきは、花びらよりむしろ中央部分、花粉がキラキラと光っているように見えるのがお分かりいただけるだろう。
植物は動けないから、その生息地拡大のために生存戦略の一環として虫と共存共栄している。甘い蜜をエサに虫をおびき寄せていることは誰もが知るところだと思うが、実は見た目でも虫を惹きつけることはあまり知られていない。
虫の視点で見渡す限り一面に広がるひまわり畑をぜひ一度見てみたいものだ。
さいごに
我々人間はいつも自分に見えているものがすべてだという錯覚に陥ってしまう。そこに固執したり、全部を知った気になってしまう、そんな都合の良い生き物だ。
日常で見ている色もそのほとんどが錯覚であり、見えている色でさえ、電磁波の中の光のごくごく一部でしかない。虫と人では花の見え方が違うことを明らかにしたが、同じ人間においても遺伝子の違いによって、同じ色の見え方が異なるということが明らかになっている。
大人になるにつれて、知らず知らずのうちに思考は凝り固まり、いつしか見たいものしか見えなくなってくる。たまには童心に返り、好奇心を開放して、想像力を働かせてみる。
1人時間が多くなった今だからこそ、疑問と向き合い、探求する時間を設けてみてはいかがだろうか。