100日後のワニ炎上から読み解く、好意的に受け入れられるための広告の在り方

100日後のワニ炎上から読み解く、好意的に受け入れられるための広告の在り方

Twitterで大きな話題を呼んだ日めくり4コマ漫画「100日後に死ぬワニ」

100日目の最終回投稿日にはTwitterトレンドで世界第一位にも輝いた話題作品なので、動向を追っていた方も多いのではないかと思う。私も毎日ではないにせよ、Yahoo!リアルタイム検索にてトレンドに上がってくる毎に、折をみて見守っていた。

作品自体に関しての感想ももちろんあるが、今回はこの作品の100日間にも及ぶ連続投稿最終日に起きた、一連の炎上騒動に焦点を当てたい。



「100日後に死ぬワニ」が炎上してしまった引き金

「100日後に死ぬワニ」は、作者(きくちゆうき氏)個人のTwitterアカウントから発信された作品だ。

100日後に訪れる「死」へのカウントダウンと共に繰り広げられる、主人公ワニの日常を描写した4コマ漫画で、死との距離感を感じさせるテーマ性の高い内容だった。
そのため、Twitter上では多くの共感者を集め、話題となった。

それが100日目の連続投稿最終日、一転「炎上」という騒動に発展してしまった発端は、その後矢継ぎ早に行われた怒涛のメディアミックス、イベント開催やグッズ展開の告知ツイートだった。

経緯を知らずに事後事実だけ提示されると、何がいけなかったのか、なぜ炎上騒動になってしまったのか、にわかに理解し難いと思う。しかしこの作品を100日間もの間見守ってきたファンからすれば、感情をマイナスに動かしてしまうだけの大事だったのだ。

長くなるので、経緯をこれ以上詳しくは説明しないが、この告知ツイートが行われた後、多くのファンに残った感情は「騙された」という嫌悪感であった。

ステルスマーケティングでは?との評価を下す者まで現れ、モラルを問いただす騒ぎになるほどだったので、その感情は「怒り」と表現しても良いかもしれない。

様々な語彙で今騒動を評価する意見が見られた。
中には「炎上」という現象自体に悪戯心で参加した者もいたと思うので、それらの意見は精査して確認する必要があったが、私の解釈では

「プライベート作品だと思って感情移入いたのに商売だったなんて」

と、ショックを受けた人が多い印象がある。

ファンの感情に寄り添えなかった功罪

消費者は広告を嫌う。

今騒動で、悲観や文句を吐露する論調に対して「広告で何が悪い」「商売を否定するな」のような、いわゆる嫌儲家や非商業主義を否定する意見も散見した。

しかし、利害のある関係というのは相応のリスクを考えなくてはいけないのだから、その余地を排除されて怒る人をただ否定するのは建設的でない。

例えば、新しく家電を買い替えたいとして、量販店の店員の言葉家電に詳しい友人の言葉とでは意味合いも聞く側の心づもりも違ってくる。前者の言葉は根底に「売りたい」という目的があり、後者は「損をしないアドバイスを提供したい」という気持ちにより発せられている。

「売りたい」という目的がある言葉には、都合の悪い情報やもっとコストパフォーマンスの良い商品の存在を秘匿している可能性を視野に入れる必要があるのだから、念頭に置くべき条件が全く異なる。

それとこれとは話が違う。状況が違うので、家電と「100日後に死ぬワニ」とを比較はできない。そう考える人もいると思うし、もっともだと思う。実際、ワニの件に関しては、消費者を騙してモノを売りつけようという趣旨の広告とは思えない。

なぜなら、ワニの件はあくまで告知であって、欲しい人は買えばいいし、そうでない人は無料でコンテンツを楽しめたのだから、経済的な損失は消費者側には誰にもない。

しかし消費者の全てが、時々の状況を鑑みて広告の善悪を判断して情報を精査してくれるわけではない。多くの場合、「広告」とは少し身構えて接するものと無条件で反応している。

そのため事業者側(広告を発信する側)は、その「広告であること」を秘匿されたことを大事と認識する人の存在を無視してはならない。

ましてや今回は、純粋に作品の世界観に没入していた人たちを、いきなり商売という現実に引き戻してしまったのだから、その功罪を問わないわけにはいかない。広告手法として悪事ではなかったが、ファンの感情を逆なでする悪手ではあったと言える。

当ブログでも何度も言っているが、消費行動とは論理より感情優位で喚起されるものだ。

合法であるか違法であるかは論点にすべきでない。いかに好意的に受け入れられるかを論点にすべきだ。

消費者の広告嫌いを増幅させてしまった広告業界の失敗

2015年、日本で10代20代のテレビ視聴時間とインターネットの利用時間の優位が逆転した。

それ以降の世代も年々インターネット利用時間の優位性が増しており、広告業界に限ってみてもテレビというメディアの権威が徐々に弱体化している。

少し古いデータになるが、2009年にアメリカで行われた調査によると、テレビCMで1,000世帯にリーチするための広告コストは、1986年に8.26$だったところ、2008年には22.65$と2.75倍近く跳ね上がっている

さらにこの調査のコメントによると、録画視聴でのCMスキップ機能によって実際は32$程度のコストがかかっているだろうとの事だった。これはあくまでリーチするためのコストであって、そこから顧客として制約につながる比率はさらに下がる。顧客獲得コストとしてみれば、その2.75倍にさらに高い倍率を掛け合わせた数字になる。

言わずもがな、このコスト増はテレビCMに限ったことではない。新聞や雑誌といった旧来のメディアの広告効果は軒並み下落している。新聞の発行部数は、2018年時点でピーク時(1997年)から25.8%減少。雑誌の発行部数もこの10年で32.6%減と著しい衰退が伺える。

旧来のメディアがこれだけの失墜を見せたとあらば、新しいメディア“インターネット”に顧客獲得の場を広げなくてはならない。その様な経営判断は早いうちから多くの企業でなされた。

ポップアップ広告、サーチ広告、ディスプレイ広告など、IT企業手動でインターネット上で広告効果を代替する様々な施策が行われた。しかしその大部分は、広告に対する更なるヘイトを稼ぐ結果に至ったことは、ご周知の通りと思う。

特にサイトの操作性を阻害するバナーや、SNSでの交流を邪魔する投稿型広告は、導入初期の内容の低俗さも合わさって、害虫の様な扱いで長い間定着していた。

そしてそんな害虫を駆除するべく、広告をブロックするアプリやアドオンが出現。いよいよ、広告主と消費者の対立構造は深い溝を可視化させるようになる。

条件反射で広告を嫌う消費者に、それでも広告をし続けなければならない企業は次の対抗策として、広告と悟らせない広告手法“ステルスマーケティング”、通称ステマを行うようになる。

ユーザーを装った“サクラ”による口コミの投稿。有名人など影響力のある人物に、愛用品であるかのような虚偽の情報発信をさせる。など、消費者を欺く悪質性から違法化されている国も珍しくない。

こういった経緯から、消費者は余計に広告に対して過敏になっている。

全ての広告が、消費者を騙すことを目的としているわけではない。むしろ大多数は、消費者の生活水準の向上に自社商品が役立つと信じ、好意で発信している。

しかし、一部の悪質な広告を事前に弾くことができないのだから、広告全体に対して常に猜疑心を働らかせねばならない気持ちを咎めることなどできはしない。

現代広告に必要なリレーションシップ

広告においてインターネットとは、テレビや新聞雑誌と同列に“新しいメディア”として扱っていいものなのだろうか。

確かにメディアとしての側面は決して少なくない。

情報を収集するツールとして活用する時間が多くを占めているのは確かだ。しかし近年では、インターネット利用時間の多くはSNSに割かれる傾向が顕著に現れてきている。これは若年層に限った話ではない。

SNSの使い方は実に様々である。もちろんその中には情報の収集も含まれるが、旧来のメディアとの明確な違いは、その距離感にある

最近では、企業の公式アカウントや宣伝アカウントも多く見受けられる。けれどやはり元々はコミュニティー建設用のネットワークシステム。情報の発信源はごく身近な人だ。場合によっては、いや多くの場合、相手は顔も知らないネット上の関係ではある。しかし、それでもやはり同じ消費者同士という結託を感じるほどには身近だ。

そういった状況を踏まえると、インターネットはもはやプライベートな空間になりつつあるのではないだろうか。少なくとも、そういった立ち位置での利用目的が利用時間の大半を占め始めている認識を深める必要がある。

そう考えると、今回の「100日後に死ぬワニ炎上騒動」で多くの人の感情を逆撫でしてしまった理由の一端が見えてくるのではないだろうか。

この炎上騒動で広告のやり口に言及している人の多くは、決して広告や商売全体を批判しているわけではない。むしろ、自分たちが応援している作家の経済的成功は願っているし、大きな企業の案件を担当するとの報告を受ければ祝福もする。
あくまで彼らは、仲間としてこのクリエイターを歓迎していたのだ。

わかりやすい例が、Youtuberだと思う。

彼らのファンは、投稿者が企業案件と呼ばれる有償の広報活動をすることを基本的に推奨している。場合によっては紹介された商品を購入もするが、そこにはやはり「この人が受けた案件ならちゃんと良いものなのだろう」という近い距離感での信頼がある。

YoutuberやInstagramerといったインフルエンサーと呼ばれる人たちは、この信頼を勝ち取りつつ広報活動を行うという点で、現代の広告の正しい在り方の一つを提示している。

もう少し噛み砕けば、インターネット広告には従来とは異なるリレーションシップ、関係の構築が必要なのだと結論づけられる。

この視点を飛ばして、多くの事業者が「ただ目に着けば良い」「より大人数にリーチすれば良い」という旧時代的なマーケティング視点に囚われている限り、今回のような炎上騒動は決して無くなることはないだろう。

アメリカのジャーナリスト、ボブ・ガーフィールドは10年も前に自身の著書で「インターネットは口コミのメディアである」と記すと共に、当時散見され現在では上記のように消費者の広告に対するヘイトを大きく拡大してしまった多くの広告手法を否定していた。

インターネットはあくまで消費者同士の空間と認識して、企業はそこにお邪魔させて貰うというくらいのスタンスでちょうど良いのかもしれない。

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