知ってしまうと目を離せない日本最古の歴史書『ホツマツタエ』で綴られる世界観

知ってしまうと目を離せない日本最古の歴史書『ホツマツタエ』で綴られる世界観

古代からある日本の固有語では、一から十の数を次のように数えていた。

『 ひ ふ み よ い む な や こ と 』

現代ではあまり聴き慣れないが、日本人であればそれほど違和感なく読めると思う。

ちなみに、二十は『はた』、三十は『みそ』、四十は『よそ』となる。ここまでくると『はたち』や『みそじ』など年齢を表す際に使用しているので、確かな覚えのある表現になる。漢字の渡来や欧州の知見が交わり、次第に廃れてしまった言葉なのだが、このように日本固有語のエッセンスは今なお残り続けている。

話が逸れてしまったが、この『ひふみよいむなやこと』。これを詳しく読み解いていくと、古代の日本人が有していた深遠な思想の一端を垣間見ることができる。

まず一から十まで、『ひ』から『と』までの全体で“人”を表しているのだそうだ。古代の日本人は、人は『ひふみよいむなやこと』の十段階を歩むものと考えていた。

一から七、つまり『ひ』から『な』は雛の状態だ。次の八から九、『やこ』は接頭語の御をつけた『御やこ』、すなわち都を表す。雛は都へ出て『と』の段階を目指す。最後の十、『と』はトホカミエヒタメという八神の中で日本の統治を任されていたトの神の名で、その教えを表す。

このように、子が巣立ち、道徳を身に着け一人前になる段階を、『ひふみよいむなやこと』という一から十の数えを通じて示している。



賛否が分かれる古文書ホツマツタエ

『トホカミエヒタメ』

これは神の名であるにもかかわらず、神道の祝詞として僅かに現代にも伝わっているものの、普通に生活している我々にとって滅多に耳にする機会のない名称かと思う。

何故なら、この名は古事記や日本書紀、いわゆる記紀に一切記載がないのだ。

では一体どこからそんな名が出てきたのかというと、『ホツマツタエ』という歴史書にその記載がある。

『ホツマツタエ』は、日本固有語の古代文字によって書かれた歴史書である。
内容は記紀で示されている神話と似たものになっているが、天照大神はじめ記紀では神々と表現されている登場人物が実在した人、皇族として書かれており、紀元前5000年頃からの日本の歴史や古代の世界観日本人のモノの見方や考え方が収録されている。

なので、トホカミエヒタメを「神」と上述したが⏤⏤実際に書物内でも『カミ』と記述されているが、実際は“統治者”とか、後の人々にとっては“ご先祖様”と翻訳した方が、実際の意図に近しいと思われる。
ちなみにトホカミエヒタメは初代天皇クニトコタチの八人の皇子であり、トに当たるクニサツチトノミコトが二代目、古事記の国産み物語で有名なイサナギとイサナミは七代目に当たる。

日本固有語の古代文字で書かれていることから、漢字渡来以前の書物であって、記紀よりも古い日本最古の歴史書なのだが、その情報は一切表舞台に姿を表さない。故に私も偶然出会うまで、認識すらなかった。

それは何故かというと、学際的な見解では未だ信憑性に乏しく、正しく歴史書とすることに賛否があるから、ということらしい。

理由は『ホツマツタエ』が江戸時代というかなり後発で発見されたことと、文献の少なさだという。なので歴史学者からすると、後の人が「古代日本人はこうあってほしい」という願望をもとに作成したものではないか、という見方が根強いのだそうだ。

そのため公式な歴史観では、記紀が日本最古の歴史書だし、古代文字も発見されていないので、漢字が中国から齎されるまで日本に文字はなかったということに変わりはない。

しかし信憑性というのなら、記紀に富士山が一切出てこないのもまた不可思議と言える。

古事記ではヤマトタケルが関東に遠征する物語があるが、あんなに目立つ霊峰を目にして何の印象も持たないとはありえるだろうか。『ホツマツタエ』ではアマテルカミ(天照大神)が産まれた極めて重要な場所であるのに対して、記紀では綺麗にカットされていると思わざるを得ない。

また、漢字渡来以前にこれだけの文明を有した民族に文字がなかったというのもいかがなものだろう。日本人が漢字を使い始めたのは大体4世紀後半の弥生時代とされているが、その頃の欧州といえばローマ帝国全盛期、中国はあの有名な三国志の時代をとっくに終わらせている。

史実によれば、日本人は漢字が渡来して以来、元々の読みに加え、訓読みやひらがなカタカナなど実に多様な応用をやってのけている。しかし文字を持たなかった民族が、果たしてこれだけのことをやってのけることは可能だろうか。元々あった文字に漢字を当てたと考えたほうが自然ではないだろうか。

この謎を、記紀が編纂された時代に照らして見ると、さらに疑念が深まる。

天武天皇が古事記の編纂を命じた7世紀後半は、壬申の乱という古代日本最大の内乱が起こった時代。この権力争いが内容に何らか影響している可能性もなくはない。また、記紀の編纂には中国や朝鮮から渡来した人々が関わった形跡が多く残っていると聞く。

明言はしないが、文明的に勝る国からスーパーバイザーとしてやってきたという立ち位置の渡来人が、そのアイデンティティを損なわないために、原住民とのパワーバランスを揺るがしかねない情報に何かしらの細工を施していた、と考えるのもおかしな論理ではない。

独特の感性でエネルギーの種類に名をつける

さて、『ホツマツタエ』は日本の古代文字『ヲシテ文字』で書かれている。

ヲシテ文字は一音一字の表意文字。こういうとややこしいが、要はひらがなのようなものだ。母音のアイウエオと子音のアカサタナハマヤラワに対応した図形があり、その組み合わせで明快に表現されている。一見、象形文字のような様相である。

そして、表意文字なので、一字に対してそれぞれ意味がある。現代のひらがなのように音のみを表しているのではなく、『あ』であれば「天(宇宙)」とか「始まり」といったように、それぞれに対応した意味が存在する。

これを現代の⏤⏤漢字など外国の文化に強く影響を受けている我々の感性で読み解くと、いささか難解に感じる。

例えば「道」という字がある。

これは中国ではタオと読んだり、日本の音読みではドウと読んだりする。だが、日本の固有言語に由来する、つまり訓読みで読むと『みち』となる。『み』は接頭語の御なので、この言葉の日本固有語的な本来の意味は『ち』に宿っている

『ち』といえば血も『ち』である。二音続くが、父も乳も『ち』だ。

何故、道と血と乳と父が同じ意味で捉えられたのかと考えると、まず道とはモノが運ばれてくる流通を指したのだろう。では父はと言うと、狩や採集で食べ物を運んでくる役割と言える。乳は言わずもがな、赤ん坊へ栄養を運ぶもので、血は全身に栄養を行き渡らせるもの。また血と乳は、現代医学では常識になっているが、血液が乳房を通ると乳になる

こうしてみると、バラバラに思えたそれぞれの意味が、全て生きるために必要な同じエネルギーやその流れを表していることがわかる。

ヲシテ文字は、状態や流れを表したシンプルな造形で表現されている。『ち』に対応する文字を見てみると、母音は風の源を、Y字のような子音は集合する状態を表し、『ち』はその組み合わせで一字となっている。

この時代に⏤⏤もちろん『ホツマツタエ』が発見された江戸時代にも、血と乳が体内で元々同じものだったなんて医学的知識はあるはずもない。なのに古代日本人は、その優れた直感力で以って、同じモノと認識し同じ言葉で呼んでいたということになる。

また、『ホツマツタエ』では、“回転”をかなり重要なエネルギーの状態として捉え、宇宙の創生をはじめとした象徴的な場面で度々語られている。

宇宙の創生、つまりビッグバンは創造神アメミオヤの息吹によって、左巻きの渦と右巻きの渦が起きて発生したと綴られている。また、イサナギとイサナミの二神(ふたかみ)が子を成す際、柱の周りを回転したという話も、記紀でも同様に綴られているため有名な話だ。

現代人の知識であれば、原子から細胞、惑星から宇宙に至る此の世の全ては“回転”という状態で成立していることを知っている。また、精子が実は“回転”しながら前進しているということも最近判明した。

だが言わずもがな、古代にそんな知識があったはずがない。もちろん江戸時代にもだ。

歴史学者の言うように、これが江戸時代の人の古代日本人妄想であったのなら、その著者は稀代の天才⏤⏤いや、もはや未来人か地球外の知的生命体と考えた方が、むしろ自然とさえ思える。

古代日本人の優れた直感力で綴られた世界観

冒頭の『ひふみよいむなやこと』を、もう少し詳しく解説する。

これは一から十を数えた語の並びであると共に、『ひ』から『と』までの全体で、人の歩みの十段階を表していると上述した。『ひ』から『な』は雛、『や』『こ』は都であり、『と』は神やその教えであった。

『やこ』をそれぞれ分解すると、『や』は八重垣で、御所を守る某。伊勢神宮にも、守るように周囲に榊が植えられているが、これを八重榊と言う。
『こ』は九重(ここのえ)のことで、皇居、御所といった天皇のいる場所を指す。また『こ』は、心や菊(ここな)も同時に表している。菊の意匠は心を表していて、これは世界中の様々な宗教でも同様に用いられている。

さらに、『と』は神を表すと言ったが、『こ』は神と最も近い人界の最高位である。両者は互いに交信することができるのだが、この語順にその全ての意が詰まっている。

まず人から神への流れ、『こ』→『と』
琴は昔から神を接待する最上位の楽器だと言うことはご存知の方も多いだろう。また『こと』は同時に、言(言の葉)つまり祝詞でもある。

逆に神から人への流れ、『と』→『こ』はというと、これはだ。
床といえば寝台を意味し、子宝を授かる営みの場所でもある。古代日本の人々は、『こと』を通じて神と交信すると、『とこ』を通じて宝を授かれると考えていたのかもしれない。

実に興味深い。こう感じるのは私だけだろうか。

いや、恐らく日本人であれば多くの人が深く感銘を受けるのではないかと思う。
それほどに『ホツマツタエ』は、私たちが長らく忘れていた、民族としてのアイデンティティを強く刺激してくれる。民族独特の感性。着眼点と哲学。それらの源泉がどこから来たものなのか、この書を読み解いていくと、それらがみるみる言語化されていく。

そのマインドは、この書に用いられている『ヲシテ文字』にも現れている。
漢字なら幾万文字、その他の国の言語でも常用に数千単語が必要なところ、一音一字の表意文字であるヲシテならばたったの48文字⏤⏤それも筆記に数画しか用いないシンプルな文字を覚えれば済む。言語は複雑になればなるほど格差を生むが、古代日本人はそれを是としなかったのだろう。

私はなにも、過剰な日本賛美をしたいわけではない。

『ホツマツタエ』にだって、そのような日本人を崇高視する記述は一切ない。この書にはただただ、世界をどのように捉えているのか、人はどうあるべきか、そういったことが⏤⏤見ようによっては淡々と、描かれているに過ぎない。

その証拠に、私はこの書を読んで何か天啓の類を得たとも、新しい概念を学んだとも感じていない。本当に純粋に、今まで生きてきて何となく培った国民性や倫理観、道徳や哲学に、名前がついた程度の、納得とか腹落ちする感覚を得たに過ぎない。

そんな、押し付けがましくない柔和な魅力が、この『ホツマツタエ』にはある。そのため、いくら学際的に否定され認められなくても、ファンが尽きず、研究者が増え続けているのではないだろうか。

三種の神器の機能体系

最後に、もう一つだけエピソードを紹介して終わろうと思う。

『ホツマツタエ』には、天皇が国を治める際のアイテムとして『ト・ホコ・カガミ』という三種が紹介されている。

そう、記紀で言うところの、天照大神がニニギに授けたとされる「三種の神器」である。

『ト』は上述したように「神の教え」のことであり、三種の神器で言えば八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)に該当する。『ホコ』は草薙剣(くさなぎのつるぎ)にあたり、これは現代で言えば刑法や刑罰に近いだろう。

『ホツマツタエ』の記述によれば、七代目アマカミ(天皇)であるイサナギとイサナミの時代までは『ト・ホコ』の二種を以って堅調に国を治めていた。

しかし、八代目のアマテルカミ(記紀で言う天照大神)の代になると、人口増加に伴ってか、国を揺るがすような大乱が起こってしまう。
そこでアマテルカミは『ト・ホコ』のみでは国を統治できないと悟り、『カガミ』⏤⏤記紀では八咫鏡(やたのかがみ)を創設されたのだという。

『カガミ』は、自らを映し出す物。自分の姿を見て、反省の心を芽生させるアイテムとして使用された。こうして三種の神器-ホツマツタエではミクサタカラと言う-を得て、国の基礎が出来上がったのだそうだ。

名称や存在は知っていても、その意味はあまり知られていないと思うが、こういったエピソードがあるのだと知ると、三種の神器の実用的有用性に気づくことができる。

ビジネスや会社運営に置き換えてみると、『ト』はビジョンやミッションではないだろうか。さらに『ホコ』は規則とか、バリュープロポジションやUSPに該当するともできる。一見これだけで成り立っているように思えるが、ホツマツタエによれば『カガミ』の存在なくして基礎を築くことはまかりならない

『カガミ』はなんだろうか。額面通り受け取れば“反省”となるが、会社の状態のある時期をキャプチャーしておいて、定期的に振り返る習慣となるかもしれない。もしくは、自らを省みるという本質的役割を達成するのなら、“客観”と解釈してもいいかもしれない。

なんにせよ、この『ト・ホコ・カガミ』の考え方はビジネスや会社のモデル設計において極めて重要な装置的役割をも、的確に言語化しているように感じる。



『ホツマツタエ』に少しでも興味を持たれたら、一度解説書を手にとってみて欲しい。

<参考書籍>
やさしいホツマツタエ:いときょう著
言霊-ホツマ:鳥居礼著

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