クリエイティブに仕事をするために最も必要なことが「勇気」である理由

クリエイティブに仕事をするために最も必要なことが「勇気」である理由

クリエイティビティに深く精通するhummelのCEOクリスチャン・ステーディルは、クリエイティブな仕事の探求を紹介する自著の中で「クリエイティブになる勇気を持とう」と盛んに訴えている。

では、「クリエイティブになる勇気」とは一体なんなのだろうか。

“クリエイティブ”“勇気”という一見なんの関係も見出せない二つの言葉には、どのような繋がりがあるのだろうか。



21世紀に起こったビジネスの劇的な変化

ところで、

過去数十年のビジネス関連書籍を手にとってみると、昔と今とでは、ビジネス上の課題解決の方法論が大きく変容していることがわかる。

MBAなどを基とした経営指南、顧客・市場・競合分析によるマーケティング手法、そういった世界経済の工業化に伴って培われた方法論から、ブランディングインサイト分析デザイン思考など、それまで一部の創造的活動を生業にする人々にのみ活用されていた方法論が、一般ビジネスパーソン向けに言語化されてきている。

これがどういうことかというと、従来の方法論では今のビジネス上の課題がほとんど解決できなくなってきているということに他ならない。

従来の方法論とはつまり、分析や定量調査を基にニーズを予測するデータ主導型の手法だ。市場規模や顧客属性を分析して、競合の有無や勝算を計る。ビヘイビアマーケティングなどが代表される。多くの人にとってはまだ、こちらの方が馴染み深いのではないだろうか。

一見なんの問題もない、むしろこれほど事実に即した真っ当で論理的な方法論が他にあるように思えないが、これがもはや過去のパラダイムになり果てている。

Googleの元CEOエリック・シュミットは次のように語っている。

「2003年までの2万年間の情報量を、いまや2日おきに作っている」

IT革命以降、社会の有様は高度に多様化し続けている事を、実感していない人は居ないと思う。人々のニーズの多岐化社会変容のペースは年々その速度を上げ、もはや3年後どころか1年後の市場すら思い浮かべることも難しい。

これが20年、いや10年前であっても、話は違った。

当時の変化はまだ、過去の延長線上のものとしてある程度許容できる範囲で推測することができたし、データを集めて分析する、過去から読み解く手法が有効であった。

しかし今現在はどうだろうか。

いくら綿密にデータを分析しても、多様化する現代の顧客ニーズの中、勝算を確信できる規模の市場を見極めることは難しい。

もし勝算を読み解けたとしても、予測不能な変化に見舞われれば、柔軟性のないビジネスは簡単に破綻してしまっている。そしてその予測不能な変化というものが、実に気軽にやってくるのが21世紀という時代だということは、既におわかりいただけていることと思う。

そんななか注目されはじめ、世界ではもはや企業の成長に不可欠とも目されているのが、クリエイティブな活動を生業にしている人たちの思考形態だ。

ブランディングは、多様に分布するユーザーをストーリーを媒介としたコミュニケーションでクラスタ化することができる。インサイト分析は、情報過多の世の中で言語化が難しい複雑なニーズを代弁することができる。それらも含めたデザイン思考は、コモディティ化されてしまった製品やサービスに付加価値を付け、差別化することができる。

この様なクリエイティブなアプローチで一貫している方針は“提案”である。

過去のマーケティング手法の様に、定量的にデータを収集して現在の需要を解釈するのではなく、少し未来の需要を創造する-もしくは未だ顕在化していない需要を発掘する-という点において、スタンスが全く異なる。

そしてそれが、今世界で最も重要と位置付けられているビジネス設計の方法論であり、イノベーションの秘訣なのだ。

クリエイティブに働く事とそれに伴う恐怖

では、クリエイティブに働く-少し未来の需要を創造する、未だ顕在化していない需要を発掘する-とは具体的にどう働き方を変えれば良いのだろうか。

具体的な方法を列挙し始めるとキリがないが、一つだけ例をあげると、まずは定量調査を定性調査に切り替えてみると良い。

定量調査は、アンケート集計の様に不特定多数に同一の質問を投げかけ、答えを主計し数値に落とし込む調査方法である。一方、定性調査とは少ないインタビュイーとの深い対話を通じて、その答えに至った意味にもフォーカスした調査方法となる。

これによって得られる情報は、単なる数値としての調査結果ではなく、対象となる人の視座そのものである。そして、その共感を以ってビジネスの設計にあたることで、当初は思いもつかなかった新たな発想が生まれる。

これは、社内もしくはクライアントとの会議の場でも応用することができる。

秘訣は、「結論を持ち込まないこと」「説得を行わないこと」だ。

目的はその場にいる人全員の視座を共感すること、またそれによって生まれ出る全く新しい発想を受け入れることとなる。

MIT上級講師でクリエイティビティ研究者であるオットー・シャーマーは、この様な会議の在りようを「人間の集合的創造性にアクセスする」と言い表している。

従来の、非クリエイティブな会議の目的は、総じて“場の説得”となる。集計したデータを基に、結論にどの様なエビデンスがあり、勝算を導き出したかといったプレゼンテーションが主な論点となっている。多くの人にとっての会議の在りようは、こちらに属することと思う。

しかし、クリエイティブな会議では説得を行わない。故に結論を持ち込まない。その場で起こる-と信じるしかない-自由な発想の出現にただただ耳を傾ける。

ただしこれは、経験のない人にとってはなかなかに難解なことだろう。何が起きるかわからない、会議が終わった後に、話がどう外れているかもわからない状態でその場に臨むのだ。まともな精神を持つ人ならば、恐怖心すら湧いてくる。

しかしここで、冒頭のクリスチャン・ステーディルの言葉を思い出して欲しい。

「クリエイティブになる勇気を持とう」

クリエイティブに働く-0から1を創造する仕事-とはやはりそれ相応の苦悩を要する。

例えば、画家は決して何かの延長戦上で、誰かの描いた続きから筆を走らせることはしない。必ず真っ白なキャンパスと向き合うところからクリエイティブをスタートさせる。

何を表現しようか、モチーフは何にするか、題材は、顔料は、様々な思考が巡り巡って苦悩し、焦燥に駆られ、それでもやっと置いた一筆一筆を積み重ねて、一枚の絵画を完成させる。

クリエイティブ思考とは、画家が真っ白なキャンパスに筆を入れていく様な、白紙に新しい世界観を構築していく様な、そういったプロセスだと私は例えている。

もちろん、創造的活動を生業にする人々は、なにも闇雲に働いているわけではない。それぞれが独自のフレームワークを組み、経験の中でうまく体系化させたアプローチによって、コンスタントな発想と創造を可能にしている。そういった方法論が言語化された書籍も、今は多く出版されている。

しかしそれでも、完璧に発想をシステム化できるわけではない。経験やノウハウで、ある程度の効率化ははかれるものの、やはり産みの苦しみから完全に逃れることはできない。

クリエイティブになるという決意

当ブログでも度々触れているが、心理学や脳科学の分野では、長い間“クリエイティビティ”性格的特徴や才能などといった、なかば遺伝形質のように扱い解き明かそうとしてきた。

しかし一方で、近年では人間誰しもに備わる知性の一つであるという見解が支配的になってきている。

にも関わらず、これがなかなか一般化しない原因は、教育機関での導入の難しさであろう。これだけ多くの学術分野で、クリエイティビティという知性の発達が欠かせないと叫ばれているのに、世界中のほとんどの学校教育では全く触れられないことが多い。

クリエイティブになるということは、決して容易なことではない。しかしこれは、活動や思考法といった行動によって培うことができるモノという点において、その人の形質、ましてやDNAなぞに規定されるものではない。

絵を描く、作曲する、物語を紡ぐ、ビジネスで言うならばイノベーションを起こす、などといった創造的な能力は、他の学習と同じように“訓練によって習得可能”なのだ。

現在、従来のデータ主導型ビジネス設計は昔ほどの効力を失ってしまった。

そして新たな解決策として、創造的活動を生業にする人々の持つ“クリエイティブ思考”が、全てのビジネスパーソンにとっても、必須の素養になりつつある。

何度も言うが、クリエイティブに働くというのは、実に怖い。しかし、その恐怖や不安に向き合う勇気を持って、創造的なビジネスに努めて欲しい。

最後に、アメリカの心理学者ロバート・スターンバーグの言葉を借りる。

「クリエイティビティで最も大切なのは、何よりもまずクリエイティブになるという決意を固めることだ。」

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