集中力を限界まで最大化する心理学的アプローチ

集中力を限界まで最大化する心理学的アプローチ

人間の意識は、毎秒およそ126ビットの情報処理が限界値だと言われている。

1ビットの情報処理とは二者択一の情報を区別する単位。例えば、指で弾いたコインが地に落ちた時、それが表か裏かを区別する程度の情報量だ。コンピュータープログラムでいう二進法の最小単位と言った方がわかり易い人も多いかもしれない。

科学的知見によると、他者が話している内容を理解するためには毎秒40ビットを割いているという。聖徳太子のかの逸話によれば、彼は10人の話を同時に聞くことができたと言うが、これでは毎秒400ビットの処理をしていたということになので、科学的根拠に乏しいという結論になる。

では、126ビットの中で処理を充てられる限界として、3人の話を同時に聞くことができるのかというと、それもまた実現根拠に乏しい。

話している間にもそれ以外の様々な情報(例えば相手の表情などの視覚情報や次に自分が何を話そうかという思考、または会話とは全く関係ない昨日の晩御飯の事など)、実に多様な思考にも意識を浪費しているのが通常だろう。

ここで重要なのは、126ビットという処理量が多いのか少ないのかという議論ではない。
我々の意識のリソースは、毎秒126ビットという明確な限界値があるという事実だ。



情報処理の限界とそれを蝕む混沌

毎秒126ビット。

私たちが能力を最大化するためには、この限られた情報処理リソースを上手くコントロールして、そのエネルギーを注意すべき事柄に適切に投射する必要がある。

当たり前のように思われるかもしれないが、これを意識して実現しようと試みると、自分が如何に日頃余計な思考に意識を奪われているか痛感することになる。

目の前のことに集中したいのに、今朝通勤途中で起きた嫌なことを思い出したり、今晩の献立に意識を割かれたり、どんなに集中して仕事をしようとしていても残り時間は気になるし、出来栄えを上司にどう評価されるかは常に懸念事項だ。そんな小さな事柄でも容易に情報処理のリソースは奪われる。

さらにもっと厄介なのは、将来に対する漠然とした不安現状への不満。これらはあまりに日常に溶け込みすぎていて、容易に排除することができない。私たちは、生きている限りこの様な感情に慢性的に意識を向けざるを得ない。

これらは安定的に生活するために解消すべきリスクであるからタチが悪い。限られたリソースの一定量を常にこの様な意識に割かれている状態では、とても限界まで集中力を発揮することはかなわない。

何が言いたいのかというと、私たちは常に情報処理の一定量を集中すべき事柄に使い切れていない。様々な事柄に分散して意識を使っているということだ。

この状態を「心理的エントロピー(無秩序)」と呼ぶ。

集中力を限界まで最大化する方法とは、端的に言えばこの無秩序、混沌とした意識の方向性を目的に向けて統制していく営みである。

意識の統制を実現するための条件

では、そんなことが本当に可能なのか。

結論から言うと「困難ではあるが可能」である。

一流のスポーツ選手を思い浮かべてみてほしい。彼らは局所的ではあるものの、目的に向けて意識を完全に統制することに成功している。

あるテニス選手は試合中、ボールが止まって見える様な感覚に陥ったと言う。マラソン選手の話だと、ある瞬間身体中から苦痛が消え、体が勝手に動く感覚を覚えたらしい。これらはよく聞く話だと思うが、この他にも数多くのアスリートが似た経験を語っている。

この様な状態を「ゾーンに入る」などと呼ぶこともあるが、世間一般で言われているほど神懸かり的な現象では決してない。もちろん容易ではないのだが、原理を詳らかにしていけば、それが特別な現象でないことがわかる。

この様な一見特別な経験は、あらゆる余計な思考を排除し、注意を向けるべき事柄に意識的エネルギーを全投射している状態によって実現できる。そしてその実現のために必要な条件は、

・結果が不確定であること
・且つその結果に関与できること
・フィードバックがあること

の3つだ。

要は、退屈しないだけ困難であり、自己効力感(達成できる様に頑張れる気持ち)が損なわれない程度の挑戦であり、且つ達成率などの進捗がわかりやすい目的に向かっている状態ということだ。逆にこの条件の何が欠けても、意識の秩序を統制することはできない。

この全集中状態の実現事例がスポーツ選手に偏って報告される理由は、スポーツと言う行為がこの3つの条件を満たし易いためだと私は思っている。

例えば、スポーツは必ず結果が不確定であり、その結果に対して明確に働きかけることができ、且つ極めてわかりやすいフィードバックが得られる。

これだけ、意識の統制にとって適した行為はない。

目標設定が意識の統制を助ける

結果が不確定で、且つその結果を左右でき、そのフィードバックが明確に認識できる挑戦であれば、意識を統制することができる。目的に向けて意識的エネルギーを適切に統制し投射できれば、毎秒126ビットのリソースの大半を無駄なく使用することができる。

それは余計なことを考えず、目の前のことのみに集中した状態である。より馴染み深い言葉に置き換えるなら、「夢中」状態と言ってもいいかもしれない。

スポーツに限ったことではないが、チェスや将棋なども含め、広義に「ゲーム」にはその要因が大いに含まれる。逆説的に言えば、ゲームとして解釈してしまえば、スポーツ選手の言う「ゾーン」の様な全集中状態を、仕事をはじめ凡ゆる事柄で実感することができるだろう。

この集中状態を発揮するためには目標の設定、いわゆる「準備」の段階が何よりも肝要であり、決して実行の段階になってどうこうすることを考えてはいけない。

実行の段階では余計なことは何も考えずに済むよう、上に記した3つの条件を加味した適切な目標設定をしてみてほしい。

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