自分の可能性を広げる思考法のファーストステップ

自分の可能性を広げる思考法のファーストステップ

人は無根拠な枠組みに自分をはめ込んでしまう傾向がある。

「自分の力は大体こんなもんだろう」
「これは自分には実現できないだろう」

これは大人になり、経験を重ねる毎に顕著になり、様々なバイアスを自分自身にかけてしまう。

経験則によるリスクヘッジと言えば聞こえはいいが、多くの場合、本来得られるはずの利益すら手放す結果になってしまっている事に気付いて欲しい。

達成できるはずの目標を端から見放してしまうのも、つまずくはずの無い失敗をしてしまうのも、実はこのバイアスの影響で自ら選択してしまっているのだ。

経験によって自分を縛り上げてしまっているこの不都合なバイアスは、意識的に解放する努力をしなければ、決して取り除くことはできない。



リスクに過敏な現代の人々

人の思考は構造上、損失を過大評価する様にできている。

プロスペクト理論」と呼ばれるマーケティング界隈では有名な知見で、不確実下にある選択の場合、人の思考は損失を回避する方向へより強い力を発揮しているという行動心理がある。

これは原始の頃より人類に刻まれた「生存本能」なのでタチが悪い。

もちろんそれによって数百万年もの間地球上で命をつぐんで来られたのだから、一概に悪とは言えない。

例えば、原始人になったつもりでイメージしてみて欲しい。

目の前に実がなっている木がある。しかしその木の後ろに猛獣が見える。猛獣に襲われるリスク回避より、木の実を手に入れる利益を優先する思考が優ってしまっていたら、そんな無能な種はあっという間に淘汰されていたと想像できる。

しかし、現代社会においてこの本能に身を委ね過ぎてしまうと、リスクに対する少々過敏な反応になってしまう。

人は1日に約6万回程度の思考をしているらしい。そしてそのうちのおよそ4.5万回はネガティブな思考をしていると言われている。我々は無意識のうちに、1日の75%をネガティブな思考で過ごしている

生死が隣り合わせにあった原始の人類にとっては、リスクを予め察知するための優秀な思考構造だったに違いないが、現代においてはどうだろう。死という最大のリスクをほぼ感じることなく過ごせる社会では、このネガティブ思考がどこへ向かうのか考えてみて欲しい。

「死」を乗り越えた我々の新たな悩み

老後の貯蓄は十分にできるだろうか
いつまで働き続けていられるだろうか
結婚は?子供は?親の介護は?

一昔前の私自身のネガティブ思考は、主にこの様な題材によって繰り広げられていた。時にはこういった思考が頭を埋め尽くし眠れない夜もあったし、それから逃れる為の方法として自ら命を絶つ選択が頭をよぎった事も無いとは言えない。

もしかしたら私は少し考えすぎな性格なのかもしれない。しかしこの様な経験は、多くの人にとって身に覚えのある事なのではないだろうか。

思うに、人類は「不慮の死」という人生最大のリスクを超越してしまったが故に、長く生きてしまうリスクに対して過敏になってしまったのではないだろうか。今思えば、考えても仕方がない事に多くの時間を費やしていたと自省している。

G7中最悪という不名誉を賜る日本の自殺率は、その源泉に「死」に対するリスクの低下があるのではと愚考している。自殺というおよそまともとは呼べない結論に至ってしまう思考回路は、元は我々に備わっている生存本能と同一のものなのかもしれない。

だとすれば、その結論は決して異常者のものではなく、誰にでも導きだされかねない、極めて身近な思考なのではないかと思う。

死の選択とまでいくとやや大げさに感じるかもしれないが、我々の1日の実に75%を占めているネガティブ思考の弊害はこれのみにとどまらない。

可能性を駆逐する不都合なバイアスの呪い

冒頭にも書いたが、リスクを避ける思考は、自身の身の丈というものを往々にして過小評価してしまう。

営業成績トップになんかなれっこない。
自分は凡人だからお金持ちにはなれない。
作家をやってみたいが才能がないから無理。

こんな思考をしてしまってはいまいだろうか。
確かに営業成績トップになれる根拠は今の所ないのかもしれない。お金持ちになれる根拠も、作家をやって成功する根拠も無いのだろう。

しかし、それらになれない根拠も、等しく無い

人の思考は構造上、損失を過大評価する様にできている。
得られる利益と被る損失、そのどちらの根拠も不確実な場合、損失の方を過大評価し、その回避を優先してしまうのが、我々人間にかけられた不都合なバイアスである。

これを取り払わなければ、真に論理的な結論を出すことは不可能と考えていて欲しい。

利益を得られないだけならまだ良いのかもしれないが、過小評価されてしまった身の丈意識は、時に成功を退けてしまう

幸福が続くと、揺り戻しで不幸が訪れると思ってしまってはいないだろうか。

それもまたこのバイアスの弊害の一部。成功ばかりが立て続けに起こると、バランスを取る為に失敗をしてしまう。意識的にでは無い。矛盾する言葉の組み合わせになってしまうが、無意識に故意な失敗をしてしまうのだ。

身の丈に合わない成功は心理的バランスを崩す。期待に応え過ぎて、大きくなっていってしまう期待に応えられないリスクを避けたくなる。
我々の頭は、成功し続ける事をリスクと誤認してしまう様にプログラムされてしまっているのだ。

こんなよく分からない思考が我々の頭の中で、呪いの様に息づいていると思うと恐ろしい。

体系的にポジティブを作り出す画期的思考法

アメリカの教育学者であるピーター・クラインが考案したグッド&ニューという手法がある。

これは元々、校内風紀が乱れていた学校で、生徒たちの思考バランスを整えるために開発された手法であるが、現在ではその有効性が多くの企業に注目され、会議時のアイスブレイクやコーチング手法として応用されている。

やり方は簡単。

クッシュボールというカラフルなボールを投げ合い、パスされた人が順番に24時間以内にあった「よかった事」を発表する。そしてその発表を聞いていたメンバーはそれを拍手とともに賞賛する。たったこれだけだ。

この手法の優れた点は、繰り返し行う事で「よかった事」を自分の中に蓄積していけること。そして自分の発表を他人に賞賛してもらい自己承認感を強める事ができること。その二つを複合して、フィードバック効果により「よかった事」をより強く意識に定着出来ること。というとても合理的にポジティブな思考を作り出せるシステムにある。

だからと言って私は暗にグッド&ニューの導入を進めているわけではない。

ここで重要なのは、「よかった事」の作り方にある。
やってみるとわかるが、「よかった事」など日常でそうそうお目にかかれないし、それこそ毎朝のミーティングで発表できるほどとなると不可能にも思えてくる。

では、どうしたら良いのかというと、あらゆるモノゴトを多角的に見て、「よかった事」として発表できる角度を探す習慣を身につけるのだ。

枠組みをし直すリフレーミング思考

なんとなく気がついている方も多いのではと思うが、モノゴトはそれ自体に良し悪しはないどんな出来事も、それを良しとするか悪しとするかは自分自身の認識が決めている

例えば、朝起きたら雨が降っているとしよう。

大抵の人は雨という天候に嫌悪感を抱いていると思う。傘で片手が不自由になるし、傘をさしたとて服は濡れる。もしレジャーの予定を入れていたとしたら中止になる。

しかし、先週買った英国製のおしゃれなレインコートはこの雨のおかげで卸せるし、レジャーが中止になったおかげで積んであった本が読める。なんなら今日は湯船を半分だけ溜めて半身浴しながら優雅に読書なんてのも良い。

私の場合だと、雨天の日はフィットネスジムが空くので結構嬉しい気持ちになる。もちろん晴れていたらそれはそれで気持ち良くトレーニングできるので、どんな天候であっても嬉しい気持ちに変わりは無い。

モノゴトはそれ自体に良し悪しはない。

それを良しとするも悪しとするも自分次第。そして一見都合の悪い事態も良いと思える様に解釈し直す事。これをリフレーミングと言う。

リフレーミングとは、Framing(枠組み)をRe(し直す)と言う意味の言葉。

リフレーミングする事で、一つの事象に複数の可能性が生まれる。そしてその中で「よかった事」にするフレームを見つける習慣を身につけられるのが、グッド&ニューの真価である。

少しポジティブ過ぎるくらいでちょうどフラット

「すべてはあなたが選択している」

アメリカの心理学者ウィル・シュッツの著書にこういう言葉がある。
「すべて」かどうかは分からないが、かなりの大部分は自分自身で選択していると私も思う。

目の前にある一つ一つを、可能なことにするのか不可能なことにするのか、良いことにするのか悪いことにするのか、意外にもこれらはすべて自分で決めている。

故に、逆説的ではあるが、不可能だった事を可能にすることも、悪い事態を良い事態にすることも、自分自身の力で変えていけるということでもある。

あらゆるビジネス本や啓発本で語り尽くされ、「ポジティブ思考」という単語に嫌気がさしている人も少なくないと思うが、幾度となく語られるその訳は、これがとても大切な事だからなので勘弁してあげて欲しい。

何度も言うが、人の思考は放っておくとどんどんネガティブな方向へ堕ちこんでしまう構造を持っている。
不確実下にある可能性に対しては、どうしてもリスクの方を過大評価してしまうし、1日の内75%もの時間は、そんなネガティブな思考に使ってしまっている。

なので、ちょっと引くくらいポジティブな状態が、感情的にはちょうどフラットなのだ。

我々に課せられた不都合なバイアスたちは、そう簡単に取り払うことはできない。この足枷を外し、無限の可能性へ飛び立つには、やはりそれなりの努力が必要だ。

今回ご紹介したリフレーミング思考は、その第一歩にすぎないが、続けてみるとその先の片鱗が必ず垣間見えるとお約束しよう。
まずはすべてのモノゴトを「よかった事」にリフレーミングする習慣を身につけてみて欲しい。

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