クリエイティビティと制約の関係【上】「クリエイティビティは特権的で非凡な才能ではない」

クリエイティビティと制約の関係【上】「クリエイティビティは特権的で非凡な才能ではない」

クリエイティビティが地球上に初めて登場したのは、今からおよそ7万年前、我らが祖先ホモ・サピエンスの発明に依る。

彼らはある時から、“虚構を創造する”という認知を得た。

フィクション、実際には無いもの、目に見えないものをイメージし創り上げる。ストーリーとして言い伝える。その世界観を共有する。そんなことが出来るようになった。



“クリエイティビティ”に対する誤認のはじまり

この認知、創造的知性、つまりクリエイティビティの獲得は、古代人類の生存競争の中でホモ・サピエンスを勝利に導く人類史上最も偉大な発明だった。そしてそれは、人類のみが持つ、人を人たらしめる最も重要な知性と言っても、決して言い過ぎではない。

一方で、このクリエイティビティというものを、超常的な、どこかスピリチュアルなものとして見なす風潮が、ここ数千年の間に築かれてしまった歴史がある。

「万物は神が創り賜うた」

主に西洋宗教における世界観は、“新しいものを創り出す”ことは全て“神の御技”と解釈し、教え広めた。

それにより人類は長く、クリエイティビティとは神に仕える者や神に選ばれた者に与えられたる特権的能力、もしくは非凡な才能であるかのように誤認し、周知してしまった。これもまた人間のクリエイティビティによって創り出された世界観による所業であるところが、なんとも皮肉だ。

だが待ってほしい。

その世界観を共有するの能力そのものこそが、人類史から見たクリエイティビティという“人に備わる知性”に他ならない。宗教に限らず、国家や貨幣といった概念、世界観の理解と共有こそが、原初的なクリエイティビティという知性なのだ。

もし、クリエイティビティを持たないという人がいるのだとしたら、それは他者と世界観を共有できない、皆で決めた枠組みを理解できない、そういった類の人間性の人物となる。

そうでないのなら、人は誰しも当然の如く“新しいモノを創り出す”知性を有している。なぜならそれは、他者が創造した新しいモノを理解する能力と本来的に同一だからだ。

自由な発想は制約を基準とする

「クリエイティビティを発揮するためには、自由な発想が必要である。」

こんな類の言葉を聞いたことはあるだろうか。

恐らく、タコができるくらいは耳にしているだろうと思う。特にビジネスの現場で“イノベーション”という言葉が流行し始めてきた頃-イノベーションという概念が社会に必要とされ始めてきた頃-から、盛んに叫ばれているような気がする。

ではこの言葉を聞いて、「自由な発想」とは具体的にどうすることか。

どういった思考プロセスが“イノベーション”“新しい価値創造”に繋がると考えられるだろう。

これを

「既存の枠組みを省みないこと」
「ルールから飛び出すこと」
「制約を設けないこと」

などと受け取ってしまっているのだとしたら、それは先に述べた“クリエイティビティについての誤認”に陥っていると言わざるを得ない。

前述のように、クリエイティビティとは、世界観を創り出すことそれを理解し共有できる知性のことを指す。

なので正しくは、

「既存の枠組みを深く理解すること」
「ルールの縁の限界ギリギリを探ること」
「入念に制約を設定すること」

そしてそこから半歩、指一本分でも外側に踏み出す勇気を振り絞ることが「自由な発想」だ。

自由とは、自由奔放なこととは違う。

例えばルールのないスポーツでクリエイティブなプレイは生まれるだろうか。

自由奔放に、自分勝手に振舞っても反則を取られないサッカーで、ファンタジスタは生まれるだろうか。彼らは制約の中で最大限の創意工夫をするからこそ、人を魅了するクリエイティビティを発揮できるのだ。

“クリエイティビティ”は文脈と枠組みに寄り添う

クリエイティビティは、別の宇宙の概念を持ち込むような超常的な能力ではない。

世界にイノベーションを巻き起こしてきた天才たちも皆、何の脈絡もなく優れた発想を生み出していたわけではない。もれなくそこには、既存の枠組みへの深い理解ルールの縁の限界ギリギリを攻める気概があった。

レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたガブリエルの羽根
モネやルノワールらが起こした印象派というムーブメント

世界中の誰もが天才と評する彼らのクリエイティビティもやはり、社会や歴史の文脈の中にある。

どの作品も確かに素晴らしいが、天使の羽根はもはや鳥の羽根を模した形・色彩がベーシックだし、空間と光をキャンパスに表現する絵画様式は今や珍しいものでもなくなっている。

当時の枠組みがあったからこそ、その文脈から少しはみ出した美意識が、彼らを天才と評価せしめたのだ。

アイザック・ニュートンがこんな言葉を残している。

「私が先を見ているのだとしたら、それは巨人たちの肩の上に乗っているからだ。」

クリエイティビティは、何の脈絡もなく別の次元、別の宇宙から新しい概念を持ち込むような超常的な才能ではない。

これまでの社会的な文脈を適切に理解し、条件や枠組みなどといった“制約”を適切に分析・設定した上で、そこから半歩、指一本分の外側を感じ取る知性なのだ。



次回、8/19更新:クリエイティビティと制約の関係【下】「自由な発想は制約がなければ発揮されない」へ続く。

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