“物語がチームのパフォーマンスを最大化させる”ストーリーリーダーシップ

“物語がチームのパフォーマンスを最大化させる”ストーリーリーダーシップ

「ストーリー経営」という言葉は通常、ブランディングの意で用いられることが多い。

自社の歴史や経営者本人の経験などを会社のビジョンやコンセプトと文脈的に紐付けることで、他社との違い、いやむしろそれを飛び越えた“唯一性”を構築するといったような経営戦略として語られる。

ストーリーは、会社のブランド認知のため、コンセプトに共感してもらうため、極めて強力なツールになる。

以前、人は一体なににお金を払っている?ビジネスにシナリオ設計が必要なワケというコラムでも述べた通り、人はモノやサービスを購入する際、その機能や品質よりも物語や文脈を重視して最終の意思決定を行なっている

それ故に、筋が通っており共感できるストーリーを商品に付与することで、顧客が体感できる価値を効果的に高めることができる。

そんな、自社のアピールにとって優れた効力を発揮する“ストーリー”だが、今回は少し切り口を変えて、チームや組織を牽引するリーダーとして、これを効果的に使いこなす必要性について説いて行きたい。



物語とパフォーマンスの接点

人が持つ極めて高い学習能力の正体

私たち人間は、他の動物と比して極めて高い学習能力を有している。

これは今からおよそ7万年前、我らが祖先ホモ・サピエンスが「虚構を創造する」という新たな知性を獲得した歴史に起因する。

当時過酷な生存競争の只中にあったホモ・サピエンスは、虚構-つまり実際にはないもの、フィクションの物語-をイメージで創り上げるという発明を成した。そしてそれを種族間で共有することで、他の動物にはなかった圧倒的なチームワーク、共同体としての力を発揮するに至り、これを生き抜いたのだ。

この、“物語を創作する”“共感・共有する”という知性の発達は、私たち現生人類の生き残りを賭けた歴史的分岐点だった。

物事を文脈的に、物語として認知することによって育まれた能力は“想像力”である。

これにより我々は、過去や現在に起きた或る出来事が、その後どう影響するのかを常に予測しながら-ある意味、未来を予見しながら-行動を検討できるようになった。

また、物事の一つ一つを機械的に覚えるのではなく、別々の要素同士を文脈的に関連づけて、物語として理解していくことで、他の動物にはない圧倒的な記憶力を持つに至っている。

これらは私たち人類を人類たらしめている重要な知性と言って良い。

それ故に、脳科学の知見でも言われている通り、「人の脳は物語に反応するように強く配線-ハードワイヤー-されている」のだ。

物語がなくなると人の能力は著しく低下する

では、情報に物語(文脈)が存在しなくなると一体どうなるのだろうか。

例えば、受験生だった頃を思い出して欲しい。専門用語や英単語などを記憶するのに、暗記カードを用いたことがあると思う。手のひらサイズのカードの束を輪っかで閉じた例のアレあれだ。

何度も何度も繰り返しめくって、とても苦労したご経験があるだろう。しかしその苦労の割に、思うように覚えられなかったり、今となってはほとんど忘れてしまっていないだろうか。私は何を綴じていたかすらカケラも思い出せない。

一方で、当時見た映画やドラマ、アニメのことを思い起こしてみると、たった一度しか観ていないにも関わらず、設定や人物名、作中登場する架空の専門用語ですら、かなりの割合で今でも記憶していることと思う。

二度三度と観たものならば、セリフすら暗唱できてしまうことすらある。私はあまり英語が得意ではないが、一度観た洋画であれば二度目は字幕がなくても結構楽しめる。

このように、本来であれば-想像力を発揮することができれば-極めて膨大な情報を瞬時に記憶することができる人間の知性も、その高い学習能力を発揮するためのトリガーたる“物語”が欠如することによって、著しくその性能を低下させてしまう。

暗記カードに書かれた、なんの脈絡もない情報の原子を機械的に記憶しようとすると、人が持つ最も優れた知性である“想像力”を全く動員できない。

“想像”が持つ潜在能力

暗に「想像力を発揮できないと人間の能力が著しく低下する」と聞いてもピンとこないかもしれない。しかしこの“想像”という力には、それこそ言葉通り我々の認識を超えた能力が秘められている。

上で、物語を通して人類が得た重大な能力として、以下のようなことを書いた。

「我々は、過去や現在に起きた或る出来事が、その後どう影響するのかを常に予測しながら-ある意味、未来を予見しながら-行動を検討できるようになった。」

この未来の“予測”は、それまでの人生で得た知識や智恵、経験によって学習したことを踏まえた上で想像している。ここまでは、みなまで言わずとも共通認識として扱って問題ないだろう。

では、その「それまでの人生で得た知識や智恵、経験によって学習したこと」という膨大な情報を、あらゆる場面で瞬時に想起し、意思決定の材料にしてしまえる能力はどこからきているのだろうか。

そのリソースは潜在意識が担っている。

潜在意識とは、日頃我々が認識できている表層の意識-顕在意識-とは別の、言わばバックグラウンドで稼働している認識外の意識領域のことだ。潜在意識は、私たちが生活する上で必要不可欠な、かつ極めて膨大な情報を、意図を必要とせず全自動で処理してくれている。

そしてその処理リソースは、毎秒1000万bitだ。

顕在意識の処理リソースは最大で毎秒12bit、通常は多くても7bit程度しか使用していないと言われている-1秒間で覚えられる電話番号の桁数は7桁が限界という知見とほぼ一致している-ので、その差は比べるべくも無い。

こう言ってしまうと安直に過ぎるかもしれないが、情報に物語(文脈)が存在するか否かで、かけられる処理リソースに最大で数十万倍の差が生まれてしまう。

優れた物語が人を動かす

物事を文脈的に、物語として認知するという知性は、私たち人間の極めて高度な学習能力を担保する、重大な能力である。

これによって我々は、異なる情報同士を紐付けて解釈、記憶する事ができ、そこから未来を予測して行動することまでできてしまう。

逆に、物語が感じられない、文脈のない情報の処理に関しては、人間の持つ本来の能力をコンマ数%も発揮する事ができない。物語がなくては、想像力を働かせる事ができない。それはすなわち、毎秒1000万bitもの潜在意識を情報処理に動員する事ができないということになる。

これが看過するべきでない損害なのは、火をみるより明らかなのだが、残念ながら多くの会社や組織で、この事をあまり意識されていない現状が見受けられる。

リーダーが成すべき最も重要な仕事は、率先して業務を遂行することでも部下を監視し効率化を図ることでもない。チームメンバーそれぞれが完全なパフォーマンスを発揮できるよう、未来に想像力を働かせられるような“優れた物語”を用意する事だ。

“優れた物語”の条件は三つある。

第一に「筋が通っている事」

もしもその物語の筋道が曖昧で、腹落ちできないものであっては、誰もその文脈に参画しようとは思わない。

第二に「共感できる事」

過去から現在までの文脈に心打たれ、未来に向かって伸びる結果に共鳴すれば、自ずとその物語を自分事に落とし込める。その時点で、チームメンバーは物語の傍観者ではなく、登場人物の一人として、共に望む未来の創造に向かって、自ら進んで行動を起こすようになる。

第三に「ゴールが曖昧である事」

例えば「来年度決算までに営業利益を〇〇倍にする」などといった明確過ぎるゴールでは、未来を共に創造する余地がない。結末はある程度ボヤけていて、チームメンバーそれぞれが十人十色のビジョンを見られるようでなくては、柔軟な想像力を押さえつけてしまうことになる。



以上3つの条件を満たしたものが、チームのパフォーマンスを最大化させる“優れた物語”だ。

3つ目は、一昔前までは真逆の事を説かれてきたので、少々受け入れがたいと思う。少し前の効率重視、マネジメント主体のリーダーシップが全盛の時代では、期間と数字を明確化する事が重要だった。そんな時代もあった。

しかし、全ての人材が一人一人-統率された組織の歯車やパーツではなく-多様性を持った異なる人格や価値観の担い手としての働きを求められる現代において、一人としてその個性や独自の発想という財産を無駄遣いするべきではない。

それ故に、ゴールは曖昧で然るべきなのだ。

肝心なのは、一人一人が主体性を持って活動できる文脈を用意する事。また、チームメンバーそれぞれが微妙に異なるゴールを思い描ける余地を残しておく事が肝要である。

それによって、全ての人材の能力を最大活用できることはもちろん、変化の著しいこの時代に対応できる柔軟性も、組織に身につける事が叶う。

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