経営者もしくは管理職の方々にとって、人事考査とはいつまでもつきまとう悩みの種だと思う。
プラス評価をしてやる気を引き出してあげたいが、人件費に直接関わるので業績とにらめっこしなければならない。そもそも業績に直接関わらない従業員の評価はどうすべきか。それぞれの働きにどういう基準で評価をつければいいのだろう。どこまでを投資として、どこからを経費とする?
悩みは尽きない。
かくいう私も、従業員時代に抱いた人事考査や労働習慣への憤りを、現在管理側の立場に立ってどう消化すべきか思考を巡らせる日々だ。
法令に準じた労働時間の誤り
「長時間労働」は日本の労働生産性までも脅かすガンであることは多くの識者が共に思うところであるが、これは人事考査の抱える問題によって生み出されているのではないかと考えている。
日本人が長時間労働に至る原因は、長い時間労働することへの美徳意識が云々という、いわゆる悪しき風習と結論づけられがちだけれど、これは根本を見誤っている。皆が必ずしも美徳に倣って労働時間を引き伸ばしているのではない。もちろんそういう人種も中には存在するだろうが、現実は限りなく少数派だ。
多くの労働者は、会社システムによって労働時間を間延びさせているにすぎない。
長時間労働に対しては現在、厚生労働省主導で様々な対策や法整備を行っている。しかしその内容は、「XX時間以上の労働をさせない」などと法定労働時間を定めるだけ。その源泉については何の解決策にもならないものが中心だ。
「残業代」などという制度を始め、日本企業で働く多くの労働者は潜在的に労働時間の対価として報酬を受け取っている意識が強い。いや、実質そういった実状である。つまり正社員であっても、ちょっと時給の高いアルバイトとそう変わりない報酬条件である。
これでは、業務時間を短縮するメリットがとても薄い。むしろ早く終わらせてしまうと別の業務が雪崩れ込んでくるだけで、デメリットの方が大きい。結果、残業代も加味して納得する時間分に引き伸ばし、課された業務を「こなす」という働き方が最も賢い方策となってしまう。
この点だけつまびらかにしてみても、残業代でしか給与アップを担保できないシステムの誤りに気がつけるのではないだろうか。
長時間労働を是としない評価システムは可能なのか
現状、多くの日本企業では仕事を早く終わらせるメリットが薄い。
そのため、長時間労働が是とされてしまっている。この点をしっかり改善していかなければ、いくら法令で労働時間を制限しようが、労働者の負担は変わらない。それどころか仕事は持ち帰って家でやっているのに給与は削減されるばかりという地獄の連鎖に陥る。
では、この点をどうやって改善しながら、正当な評価制度をたてるべきなのか。少し考えたことがある。
まず業務毎にポイントを割り振る。さらに一日に達成すべきポイント数を決めておけば、定時内であってもポイント満了が就業の合図になるので、早く終わらせた分だけ時間的に得になる。
もしくは業務毎に報酬を決めておく。そうすれば、早く多くの業務を完遂することで給与のアップに繋がる。
うむ。これで労働時間を短縮するメリットを創出できた気がするし、デメリットを是正できた気がする。しかしよくよく見直してみると、これでは言い方を変えただけで単なるノルマ制だ。
ノルマ制は、一見して成果に基づいた正当な評価形成を可能にするシステムに思えるが、管理する立場から見ると致命的な欠点がある。
成果主義が抱える致命的な落とし穴
ノルマや成果主義的な発想は、日本人の労働者感覚とあまりマッチしていない。
そもそもこれは、競争による成長を旨とする米資本主義から輸入してきた考え方だ。
戦後の焼け野原だった日本にとって、需要が飽和していた当時において、ある種カンフル剤として働いたことは認める。しかし、元来の気質とはとても合っていると思えない。
ノルマ制、成果主義といういわゆる競争社会によって育つ人材の性格は個人主義に陥りがちだ。この点において、このシステムは会社組織全体の成長を阻む致命的な欠点と言わざるを得ない。
個人主義はスキルの秘匿・独占を生む。
スキルが秘匿された業務はブラックボックス化され、他者に管理の余地を与えない。スキルを同僚や部下に継承せず独占した個人は現状に甘んじ、さらなる成長を求めなくなる。
さらにこのシステムは落ちこぼれを生みやすい。
個人で如何に利益を生み出すかという一点でのみ評価の基準が設定されているために、元々の気性があっていない者は容易に滑り落ちてしまう。スキルが個人に依存しているがために這い上がることが困難になる。不条理さを感じ、進んで落伍者に甘んじる人も生みかねない。
個を重んじ自己主張を是とする米国人の気質なら親和性があるのかもしれないが、和を重んじるよう角を削られる教育を施された日本人にとって、これほど残酷で人材を無駄に潰すシステムは無い。
では教育から変えていくべきではとの議論も確かにあるが、全国民がアメリカのエレメンタリースクールからやり直している暇などない。企業側がその点に関して真摯に向き合い、正当に全ての人材の能力の最大値を引き出す工夫をした方が早い。
企業と個人、双方の成長
先日、面白い話を聞いた。
マーケティングの業界で「女性視点」という独自のスタンスを持ち、立場を確立されたHER STORYという会社がある。その代表取締役である日野佳恵子氏は人事考査でも、独自の基準を取り入れているらしい。
「使用された業務マニュアルの制作者を評価する」
この発想は無かったと目から鱗が落ちた。
この会社では、業務のマニュアル化、フレームワーク化が推奨されており、従業員は積極的にテキストを作成する。そしてそれが使用されると評価が上がるということらしい。要はマネジメント力を可視化して評価しているということだが、これは極めて合理的だ。
なぜなら、個人主義の致命的な欠点であったスキルの独占や秘匿と真逆の社内体制を創出できる。最適化された業務フローが共有されるため落ちこぼれが生まれにくく、会社全体の労働生産性向上に貢献している。
企業の成長と個人の成長を共に助ける画期的なシステムだ。
さいごに
会社というものは、その資本の増大を目指すものだ。その方針は変えることはできない。
しかし一方で、その中で従事している一人一人、個人の成長を目指す良き器でもなければならないと私は思う。
現在、日本国内に限らず多くの企業はその点を見誤り、労働者をないがしろにして、資本や株主の利益のみを主眼とした経営を推し進めてしまっているきらいを感じる。
少しキツイ言い方になるが、そのように個人を見つめずに、やれ人材不足だと宣うのはいささか早計な気がする。
会社とその中で働く全ての人にとって、良き成長の基盤となる仕組みづくりを心がけたい。