たった1人にフォーカスするターゲット設定が市場価値を最大化する

たった1人にフォーカスするターゲット設定が市場価値を最大化する

日本人の全人口約1億2,609万人(2020年2月総務省統計局調べ)向けに作る1,000円の商品の市場規模は1,260億900万円になる。単純すぎる計算ではあるが、もし全人口をターゲットとすればこのような巨額のポテンシャルを見通すことができるのは自明だ。

だが、これがどれだけ無茶な事を言っているのかもまた自明である。商売とはそんな単純なものでも簡単なものでもないということを、わからない人はいないと思う。

ではその内、どの程度の人数を見込み顧客として設定すべきか。このような議論がターゲット設定の一つのテーマになるのだが、商品設計の際にこの議論を組み込もうとすると途端に疎かになるケースが少なくない。

以前「デザインでターゲットを決めなければいけないワケ」と言う記事で、デザイン設計におけるターゲット設定の不可欠性について解説した。今回は、また少し異なる視点から、ターゲット設定について論じてみようと思う。



ターゲット設定をし難くしている理由

多くの事業者にとって、ターゲット設定とはなかなかに難題だろうと思う。

なぜなら、誰かを優先するということは、その他の誰かを劣後するという意味と表裏一体なのだ。

日本に住む人たちを市場として考えると、ターゲットを絞らない状態で1億2,609万人もいた見込み顧客が、例えば男女を切り分けただけで半減してしまう。半減するということは、およそ6,300万人分の機会損失と思える。1,000円の商品を売ると仮定すると、金額的には630億円の損失リスクに見えてくる。

しかし言わずもがな、これは誤認だ。

そもそも1億2,609万人全員が購入する商品の開発など現実的ではない。顧客はそれぞれ異なる価値観を有しているし、属性も様々だ。冒頭でも記した通り、全員を漏れなくフォローすることなど、夢物語以外の何物でもない。

故にターゲットを絞るということは、誰かを劣後してしまうリスクではなく、優先する誰かのニーズに対してよりコミットできるメリットなのだが、人は往々にしてリスク(と感じる事柄)、利益よりも損失に対して過敏に反応してしまう気質を持っている。

この場合、母数の縮小という一点をあげつらって、それをリスクと誤認してしまう。そしてそのリスク回避に心理的エネルギーを割かれ、顧客のニーズにコミットする-より深く関係する-という重大なミッションを過小評価しがちになってしまう。

冷静に考えれば難なく理解できてしまうこんなことでも、実際にどこまでターゲットを絞ろうか、特定の顧客属性にどのくらい先鋭化しようかといった議論になると、途端にこの論点が疎かになってしまう。

これまでの文脈で見れば、それがいかに愚かな事なのかは十分ご理解いただけたと思う。

では、一体どの程度ターゲットを絞れば良いのだろうか。

たった1人をターゲットにする

例えば日本の人口で考えると、男性向けに絞れば6,133万人、女性向けに絞れば6,476万人がターゲットの市場規模になる。

しかし、全世代の男性もしくは女性の共通するニーズを発掘することなど容易ではない。この程度ではまだまだコミットできる見通しがつかないと思う。

よく聞く区分で、F1層(20〜34歳の女性)T層(10代男女)ではどうだろう。前者なら938万人、後者なら1,114万人と市場規模的には十分だが、私個人の感想ではこれでもまだ不十分に感じる。

これでまだ広すぎるのなら、次は収入で絞ろうか?はたまた学歴で?扶養の有る無し?家族構成?地域?

このような、属性で顧客を区分けしていく方法(ビヘイビアマーケティング)は、長くマーケティングの主流であったことは間違いない。だが、高度に複雑化し、多岐化している価値観に対応するためには、これらの区分はもはや曖昧すぎるようになってしまった。

そしてその曖昧な定義は、逆に顧客ニーズを見えにくくしてしまう危険性を孕んでいる。

ターゲット設定の最も有益なメリットが「顧客のニーズにコミットする」ことにあるのならば、その定義は狭めれば狭めるほど強力な効力を発揮する。そう考えると、数千万人、数百万人という規模を相手取ることは、むしろデメリットの方が大きい。

まずは極論から申し上げよう。

ターゲットを家族や友人などごく近しい人、もしくは自分自身に設定して考えてみてほしい。

例えば、あなたが1万円出しても欲しいと思うサービスを開発できれば、確実に1万円の売上になる。

自分で作って自分で買うというマッチポンプを滑稽と思う気持ちは脇に置いても、1万円の市場規模ではビジネスとして話にならないと思うかもしれない。しかし、あなたが1万円出しても欲しいサービスとは、本当にあなただけにしか価値を感じられないものなのだろうか。

自分の欲しいものを作ったら売れた

2000年代初頭、とある音楽プレイヤーが世界を席巻した。

当時、ウォークマン一強と言われていた同業界で一瞬にして覇権を奪ってしまったその商品の名はiPod。Apple社の元CEO故スティーブ・ジョブズの代表作の一つとしてあまりにも有名だ。

あれだけの大ヒットを生み出したiPod開発の裏には、どれだけ壮大なターゲティング、マーケティング、顧客分析があったのかとお思いになるだろうが、実は当時「ジョブズの暴走」と揶揄されていた事実がある。

「なぜAppleが音楽プレイヤーを?」

ジョブズが嬉々としてプレゼンテーション進める中、当時の報道陣の脳裏には、過去に発表し埋没していった携帯情報端末(PDA)やデジタルカメラの失敗のことしか浮かばなかったという。

しかしジョブズは性懲りも無く、また自分の欲しいものを作った。

iPodに限ったことではないが、ジョブズのコンセプトは一貫して「ミニマリズム」。これは彼の生き方や宗教観に由来する思想で、決してユーザーフレンドリーに構築されたコンセプトではない。

しかし、その必要最低限の機能を残して、極力シンプルに直感的に操作できるデザインを追求するプロダクトは、ご覧の通り世界中で受け入れられた。

iPodの隆盛を皮切りに、このジョブズの追求するコンセプトが浸透し、ミニマルでシンプルなデザインが美感として世の中に浸透していった。(Appleのプロダクトデザインを真似た製品が氾濫したり、iPhoneのUIの様なフラットデザインが流行したりと、その影響の大きさは誰もが実感していることだろう)

その結果、iPhoneやiPadなどもことごとく成功。今まではごく一部のファンや開発者のためのニッチな機種であったMacも一般的なPCとしての認知を勝ち取った。

これを、天才スティーブ・ジョブズの成功譚として、おとぎ話のように腹落ちさせてしまう気持ちもわかる。

だが、このエピソードの中で最も重要な論点は、革新的なイノベーションは自分の中に眠っていたということだ。

ジョブズは言う「人は自分の欲しいものをわかっていない」

iPodがまさにそうだったように、消費者はそれを目の前に掲げられるまで、音楽プレイヤーとは進化する毎に機能もボタンも増えていくものだと思っていたし、複雑化していくのが良いと認識していた。しかし蓋を開けてみたら、ボタン一つとホイール一つで十分だったのだから、面白い。

「もし私が顧客に何が欲しいか聞いていたら、もっと速い馬車を作っていた」

これは、自動車の発明者であるヘンリー・フォードの逸話で有名なセリフだが、顧客は無いものを発想できないということを実に的確に示している。

考えてみれば当たり前の話だ。開発者は新しい製品の事を四六時中考えている。しかし顧客は、その数パーセントも思考する機会がない。なぜなら彼らは彼らの仕事に、日常の多くのリソースを割かねばならない。

2006年、日本マクドナルドでサラダマックという商品を売り出して大失敗したことがある。

これはユーザーアンケートで最も多かったヘルシー思考の要望に応えた商品だった。要望が多かったのだから、販売したら売れるのが筋である。が、売れなかった。

そもそもハンバーガーを食べたい時、あなたならヘルシーを望むだろうか。低カロリーに食事を済ませたいのなら別のところへ行く。幸い日本には、安くて美味いお店が山のようにある。消費者は豊富な選択ができる。

この後すぐさまサラダマックの販売を中止し、逆に肉感たっぷりのボリューミーなハンバーガー「メガマック」や「クオーターパウンダー」を発売したら、飛ぶように売れたらしい。当時の経営者が自著で語っている。

ターゲット設定で最も重要なことは、顧客属性を絞ることでも顧客分析を深めることでもない。顧客が「まだ言葉にできていないニーズ」、潜在的なニーズを見つけることにある。これをマーケティング用語ではインサイトと呼ぶ。

もちろん前者も無視はできないが、「顧客のニーズにコミット-より深く関係-する」というターゲット設定で実現できる本領を念頭に議論を進めてみることをお勧めする。

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