UXの誤解されがちな真意と新時代を創造する真価

UXの誤解されがちな真意と新時代を創造する真価

ここ数年で急激にその言葉の市民権を得てきた「UX(ユーザーエクスペリエンス)デザイン」。皆さんはどのようにご理解されているでしょうか?

アメリカではすごく高収入の職業らしい!
アプリとかのインターフェイスとかインタラクションの設計でしょ!

私はこの言葉を聞きかじりの頃、ウェブ上の記事やセミナーなどの情報でかなり浅い解釈をしてしまっており、上記のような理解をしていました。

なにせ世に出まわっている情報はとかく、IT向けのものが多い。

ウェブとかアプリの開発者に主な需要があるのだから仕方のないことだと思いますが、特にセミナー業界ではそういったハウツーが覇権、といった印象があります。

そんな表層の情報のみを取得していると、UI(ユーザーインターフェイス)と、かなり似通ったジャンルの知見のように思えてしまいます。UX/UIと混同して解説しているケースもままあります。

もちろんUIもUXの範疇であることは間違いないのですが、UXの本当に面白いところ、アメリカのUXデザイナーが年収うん十万ドルを稼ぎ出せる所以は、それよりもっと深層にあるのです。



UXデザインが発生した背景

そもそもUXデザインが求められるようになった起源をたどると、20世紀中頃まで遡ります。

19世紀初めまで続いた産業革命によって、生産に機械が導入されたのはいいんですが、それによって発生するヒューマンエラーが問題になっていたそう。

便利な機械を作り、それを人間が使いこなすというスタンスだった当時、すべての設計が機械の効率的な生産を中心に考えられていたため、非常にわかりづらいインターフェイス設計になっていました。

それを人間がミスをしないように、ヒューマンエラーを防止するために、人間中心に設計しよう!となったのが、UXデザインの前進となるHCD(Human Centered Design:人間中心設計)というデザインにおける一種の哲学の発生につながったと言われています。

これが程なくして、ISO(国際標準化規格)やJIS(日本工業規格)といった品質規格に発展していき、世界中日本中に波及していきます。ここまでくると、恐らく皆さんにもお馴染みかと思います。

そして昨今、UXデザインという言葉の浸透と共にその重要性が問われるようになった最大の要因は、スマホ及びアプリの普及です。

これにより、HCDやISOやJISとは一見無関係のように思われていた様々な業界にも、UX(ユーザーエクスペリエンス)=ユーザー体験と拡大解釈した上で、ユーザーに体験を届けるという取り組みに注目が集まるようになりました。

「機械中心」から「人間中心」へ
「ミスせず使える」から「使っていて楽しい」へ

このようなパラダイムの変遷を経て、現在のUXという概念にたどり着いたのです。

背景を紐解いていくと、UXとUIが混同されがちな現状にも、なんとなく納得がいったのではないでしょうか。

UXという発想の真価

UXが注目される以前、従来のモノヅクリの発想は全て「良いものをユーザーに届ける」ということでした。

製品の価値は企業が所有しており、ユーザーはそれを与えられる立ち位置。

例えば、企業は新性能の最新機種を開発し、ユーザーはそれを購入することで価値を与えられます。言葉にするとややこしいかもしれませんが、我々の中で一番馴染み深い需給の構造ですよね。4Kだの8Kだのと徐々にハイビジョンになっていくテレビを私たちが買っている状況です。

一方UXの発想は、ユーザーと製品との関係性によって価値が創出されるという考え方が基本スタンスになります。

この場合、それを手にしたユーザーが自身の生活で何を体験するかが価値の発生ポイントで、テレビ自体にもそれを開発した企業にも、予め価値が備わっていないことになります。

テレビで例えるなら、ハイビジョンや薄型などの性能ではなく、それがある空間。そのテレビがあることによって築かれる家族の団欒や友人との交流。価値はユーザーの使用法によって変容するものだ、というのが根本的なUX的発想です。

これを「体験価値」と言います。

従来の発想での企業の評価は、より高価値な製品開発ができるか否かでしたが、UXの発想では、製品とユーザーとの関係を良好に設計・提案できるか否かが、重要なテーマとなります。

ISOやJISみたいに、UXをUIの設計規格だと捉えてしまうと、この一番面白い部分が抜け落ちてしまうことがわかりますよね。

アメリカで年収うん十万ドルの規模で稼いでいるUXデザイナーたちは、単なる品質規格の技術者ではなく、こういった新しい価値をクリエイションしているからこそ高給なのです。

使い捨てカメラに隠された体験価値

以前、友人の結婚披露宴に出席した際、各ゲストテーブルに使い捨てカメラが一台ずつ置いてありました。

使い捨てカメラとは、普通に生活していたら今や目にする機会すら失いつつあるフィルムのカメラ。最大の特徴はフィルムを使い切ったらそのまま現像に出して筐体は返ってこないという点。使い切ったらお終いなので、プラスチック製のとても簡素な造りで安価です。

ですが、このデジタルの時代に現像&印刷しなければ撮影した写真を見ることもできないフィルム。安いといっても使い回しできないので筐体ごと毎度買い直さなければならない。正直いって過去の遺物です。

では、なぜそんな古代遺産が現代の結婚披露宴に登場していたのかというと、プロカメラマンの撮影だけでなく、ゲスト視点での写真も欲しいという新郎新婦の希望だったみたいです。

当時は、「なるほど斬新!」とビックリしましたが、調べてみると結婚式界隈では割と定番らしく、式場によってはプランまで用意されていたりします。
完全に時代に淘汰されてしまったかと思われた使い捨てカメラは、時代を越えてこんなところで価値を見つけていたんですね。

これが「体験価値」です。

価値創造が企業の開発力や技術革新にある従来の発想では絶対に見つけられない価値。製品とユーザーとの関係に視点を置いて、はじめて見つけられる価値です。

この使い捨てカメラの場合は、メーカーが仕掛けたのか、どこぞ誰かユーザーがたまたま発想したのかはわかりません。しかし、UX発想の着地点はここにあります。

製品そのものの性能でバリューアップをはかるのではなく、その製品を使った時間や空間がユーザーにどんな楽しさや嬉しい体験をもたらせるのかを考えるのです。

そしてその実現にとっては、実は革新的な機能も最先端の技術も必要ないかもしれない。もっと言えば、既存のあらゆる製品が、視点や使い方の提案次第で“新たな価値を発揮する”ということもありえない話じゃないのです。

新たな価値観を創造するUX思考

技術の革新スピードも停滞し、情報化社会で比較的簡単に最新技術を享受できる現代。少し前では考えられないほど、どこの企業でもある程度同じような性能の製品を提供できるようになりました。

このような社会において、製品の品質や新しさのみでの差別化が段々と厳しくなってきたことから、UXという発想が極めて重要と考えられるようになっています。

価値創造の担い手をユーザーに設定するというUX的発想は、既存の概念から大きく異なります。企業は、ユーザーが欲しがりそうなモノを作って提供する立場から、ユーザーと製品との関係によって作られる世界観を提案する立場にならなければなりません。

2018年、我が国の誇る最大企業TOYOTAのCEOが「自動車メーカーをやめる」と言い出して話題になりましたね。

UXをちゃんと理解していないと「なに言ってんだこの社長は」という感想になってしまうかと思いますが、この宣言は「自動車の製造企業ではなく自動車のある生活、ないし体験を提案する企業になる」という趣旨だと、今ならわかってもらえるかと思います。

まあTOYOTAの場合はそれでスマートシティとかいう街を作り始めたので、やっぱり常人には計り知れないなと思いましたが…笑

このようなパラダイムの変遷は、今後もますます広がっていくと思います。なにせUXは発想する側にとっても受け取る側にとっても実に面白く、革新的なアイディアを創造するために極めて有益なのです。

現存しない新しい価値観を創造し、人類のさらなる豊かさに直結するUX思考。ぜひこの発想方針を取り入れてみてください。

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