これからの時代を生き抜くための“組織を進化させる”リーダーシップの実践

これからの時代を生き抜くための“組織を進化させる”リーダーシップの実践

従来、会社の組織運営にとって最も重要視されるリーダーシップはマネジメント力だった。

規定された工程をいかに効率よく運用できるか。多くの人員にいかに均一な成果を上げさせられるか。そういった力が、経営陣に期待されていた。

マネジメント力-モノゴトを効率良く運ぶ力-が全く不要になったとは言わない。むしろ卓越したマネージャーの存在が、企業にとって強力な武器になることは、以前よりむしろ顕著になっているかもしれない。

しかし変化の著しい現代社会において-大きな変化が時を置かず次々訪れる時代において-その力のみに多くを頼る従来の視座は、より時代に必要とされている重要な素養を見え難くさせてしまう。



マネジメント偏重により組織硬化を引き起こした世界的企業

1990年代の終わり、アメリカを代表するコンピュータ企業DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)は度重なる売却・吸収合併の末、終焉を迎えた。

DECはアメリカのマサチューセッツ州にあったハイテク企業だ。1970〜80年代当時、PDPやVAXといったシリーズを次々排出し、IBMにも並び立つ世界で最も一般的なミニコンピューターの製造企業として隆盛を極めていた。

そんなDECが-先端技術分野でも最も先端を行く技術を持つDECが-突然の終焉を迎えたのはなぜだろうか。

それはひとえに、マネジメントに偏重しすぎてしまった経営方針の結果と言える。

既存のシステムや既知の能力に凝り固まり、それを如何に効率的にこなすか、そういった過去の成功法則に経営トップしがみついてしまったのだ。

コストの削減、業務の効率化、そういったマネジメント重視の経営は一時的な業績に直接的に働いたと思う。

しかし一方で、従業員はより駒としての働きを求められ、自由で柔軟な発想が生まれる土壌は枯れ、組織は硬化していった。そうしてDECは、時代の変化を感じとる能力が組織として欠如していったのである。

ハイテク産業という時代の変化によって急成長した先端企業は、皮肉なことに次の時代への変遷に取り残され、今や名すら忘れ去られてしまった。

一方で、同時代を生き、後にそのDECを吸収合併したHP(ヒューレットパッカード)、NOKIAやGoogleなど今日のハイテク業界トップ企業たちは、時代の変化を前提とした組織づくりで、DECとは全く別の道を歩んでいる。

進化する組織-エコシステム(生態系)-の根幹概念

フィンランドのハイテク企業NOKIAの経営幹部曰く、真のリーダーシップとは「新しいプロセスの始まりをファシリテートすること」だと言う。

これはDECの経営思想と180度異なる。

そもそも20世紀までの経営戦略とは、兵隊運用哲学に基づく側面が多分に含まれていた。その為、上述のように従業員を駒として組織的に無駄なく動かすための“マネジメント”に関わる部分が多く、それこそが勝利の法則と信じられていたし、時代的にもマッチしていた。

もちろん当時の経営戦略からも多くの学びを得られるし、現代に活かせる点も否定しない。しかし、あまりにもこれに凝り固まってしまうとDECのように組織の硬化を招き、目まぐるしく変化する社会においては、それに対応する柔軟性を失ってしまう。

そこで必要になってくる在り方が「変化を許容する文化」「進化する組織」である。

DECの一例をみてわかる通り、硬化した組織は変化を許容できない。変化を許容できないということは進化することができない。進化できない種は環境の変化に適応できずに絶え行く定めにある。

「新しいプロセスの始まりをファシリテートすること」というNOKIAの言葉は、そういった進化する組織を運営する上で、経営者がどう在るべきかを実に的確に示していると言える。

世界で活躍する現代の先進企業の多くは、こういった組織を一つの生物として-生態系の一部として-生存を目指す考え方を一様に持ち始めている。

例えばGoogleでは、「20%ルール」というものが存在する。

これは、従業員に“労働の20%は本来の業務と無関係なことをする”ように義務付けるルールだ。

組織の硬化を防ぐには、それを解す方策が必要になる。兵隊のように管理され、効率化でガチガチに固められたマネジメント偏重の組織づくりでは、新しいプロセス-革新的な発想-は生まれない。

そのためこういった余白を設けること-業務や業績には無関係だが、自分から進んでやりたいと思ったことをやれる土壌作り-は非常に有効だろうと思う。

しかし頭では理解できても、それを会社の規則として実行してしまうのは、さしものGoogleといったところだろうか。

“無用の用”を受け入れる文化づくり

老子の言葉に以下のようなものがある。

有を以て利を為すは、無を以て用を為せばなり。

一見して無用なこと、直接的に目先の利益に繋がらないことでも、先々で活きてくることがある。「無用の用」というものをよく考えなければならない。といった意味の言葉だ。

あまりにも有名な逸話なのでご存知の方も多いと思うが、Appleの創始者スティーブ・ジョブズは大学を中退したあと、一時期“カリグラフィー”を学んでいたという。

当時のジョブズは「在学中のように単位を気にする必要がなくなった」と居直り、中退した後も興味のある授業に片端から潜入していたのだそうだ。カリグラフィー(日本でいうと習字ということになるだろうか)について、ジョブズ本人も将来に役立てようとは微塵も思わずに、単なる興味でこの授業を受けていた。

しかし、いざApple初のパーソナルコンピューターMacintosh開発の段になると、その時の経験が活きてくる。美しいタイポグラフィはMacintoshの大きな特徴となり、多くのユーザーに愛される結果となった。

ジョブズはこの経験で、老子のいう「無用の用」を見事に体現している。

まさしく、一見して無用なこと直接無関係なことでも、それがいつ活きるかはわからない。何かのチャンスが巡ってくる時か、時代の方が歩み寄ってくるという事もあるかもしれない。

Googleの「20%ルール」というシステムは、そんな余白的な知見が未来に活きることを見越して、組織の文化として取り入れているのだろう。

生命の進化のように、予期できない“ナニカ”が生まれ出るプロセスを組織的にファシリテートする好例と言える。

NOKIAの言う“真のリーダーシップ”にも通ずる土壌の耕し方であり、時代の変化に柔軟に対応するための生存戦略でもある。

可能性の出現を受け入れる土壌を組織する

クリエイティビティ(創造性)、イノベーション(革新)、アイディア(発想)、アウェアネス(気づき)

呼び方は様々あるが、それらは「混沌」と「空白」から出現する。

一見無意味なこと、直接無関係なことも合わせた過多な情報でとにかく脳を埋め尽くし「混沌」の状態を作りだす。この時は断片的な情報がバラバラに漂うだけで、解釈する事も言葉に出す事もできない。

その後は、思考を一旦サスペンド(保留)する。一切を忘れて寝てしまうのもいい。散歩に出かける、仲間と飲みに出かける、湯船に浸かるなどなんでもいい。

つまり何がしたいのかというと、混沌から出現する“ナニカ”のための受け皿として「空白」を用意するのだ。

クリエイティブでイノベーションに迫る優れたアイディア、アウェアネスは天から降ってくるものでもなければ、ノートやPC画面に噛り付いていれば得られるものでもない。膨大な情報をインプットする下準備と、それらを向かい入れる“空”の体勢によって出現するものだ。

この「混沌」と「空白」のサイクルを無限に回し続けられる組織づくりが、「新しいプロセスの始まりをファシリテートする」最も簡単で具体的な方策だと私は提案する。

クリエイティビティとは無縁を自負する方達にとっては、意味のわからないプロセスかもしれない。しかし私は決してオカルト話をとうとうと述べているわけではない。

アインシュタインはヒゲを剃っている時に革新的な理論の気づきを得たし、ピカソはバスタブに浸かっている時に名画の発想に辿り着いた。ポール・マッカートニーに至っては寝ている間に名曲を生み出している。

加えてこの三者は日々膨大な情報をインプットしていた。つまりは「混沌」の中から「空白」へ優れた“ナニカ”が出現したという共通したプロセスを経ている。

クリエイティビティはもはやあらゆる人々にとっての必需品

一つ念を押しておきたいが、これは一部の天才にだけ許されたものでは決してない。

誰もが歴史に名を残せるような偉大な発想を生み出せるのかと問われれば、それは無いと答えるが、少なくとも自分とその周りをちょっと豊かにする程度の発想は誰にでもできる。

そしてその能力は現代社会においてかなり多くの社会構成員に求められている。

冒頭でも述べたとおり、社会の問題も仕組みも価値観も目まぐるしく変化する現代社会で、誰もがこういった思考-出現プロセスの理解と実践-を持つことは極めて肝要であり、それを許容する組織づくり、リーダーシップの在り方が、マネジメント力にとって代わって、より時代に必要とされている重要な素養となる。

アメリカの心理学者チクセントミハイの言葉を借りると、「もはやクリエイティビティは少数者のための贅沢品ではなく、あらゆる人々にとっての必需品になった。」のだ。

あのルネサンスの芸術黄金期だって、フィレンツェという街がイノベーションに寛容でなければあれだけの芸術家たちは生まれなかった。メディチ家や刺激的な好敵手たちがいなければレオナルド・ダ・ヴィンチは生まれなかった。

イノベーターは決して、たった1人でイノベーションを起こしているわけでは無い。その周りには複数の支援者がおり、それを育める土壌があったのだ。

今の時代-たったの5人がガレージで始めたビジネスが世界を一変させてしまう時代-どこの誰が次世代のイノベーションに迫るかわからない。その上で、会社組織は従業員の誰がイノベーターになってもいいような風土づくりをする必要がある。

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