明治維新以前の歩き方は”かかと”ではなく”つま先”着地だった

明治維新以前の歩き方は”かかと”ではなく”つま先”着地だった

筋トレを始めてから、歩き方が変わったと言われるようになった。どうやら以前は自分が思っているよりずっとガニ股で、遠くからでも歩いている姿で誰か分かったらしい。今思えば恥ずかしい限りだ。

その傾向は靴底にも表れていて、前までは革靴でもスニーカーでもかかとの外側だけが扇状地型にすり減っていたが、かかと部分後方全体が摩耗するようになった。これにより、まだ全然履けそうだけれど、歩く時のバランスが悪いから靴を買い替えるという頻度が圧倒的に少なくなったのだ。

不思議なもので、歩き方が変わったと言われると人の歩き方も気になるようになる。日本にはお箸の持ち方や礼儀作法、マナーなどにはうるさい反面、歩き方を注意するという文化があまりない。

一方、西欧人は日本とは違って、親から「歩いているときもちゃんと他人に見られている」ことを教わり、歩き方を矯正していくらしい。敢えて靴底を地面にこすり付けてシャカシャカ鳴らしながらガニ股で街中を闊歩する人を見かけると、しっかり歩いた方がスマートなのに、と思ってしまうが、日本人にはそういった文化がないと聞き、確かにとどこか納得してしまった。

今回は、人の身近で、かつ、もっとも簡単な運動である“歩く”をテーマについて書いていきたい。

明治維新以前はかかとではなくつま先着地だった

靴に履きなれた現代の日本では、かかとから着地するのが正しいという固定観念があるが、明治維新以前の和の履物はつま先から着地するのが自然だった。

以前、温泉旅行に出かけた際に下駄で石畳を歩いたが、靴のようにかかと着地で歩くととても歩きにくい。これまで下駄を履く機会が少なかったため、後から知ったが、軽く前傾姿勢になってつま先で着地→地面を蹴るのが正しい下駄の歩き方らしい。

この着地箇所の変化は明治維新以後の靴文化の流入に起因する。靴を履いて歩く際になるべく疲れない歩き方を自然と行うようになり、徐々に日本人の歩き方が変わっていったというワケだ。

疲れない歩き方とはすなわち筋力をあまり使わない省エネの歩き方。具体的には膝から下だけを動かしてかかとで着地をするというもの。これにより、太ももや股関節といったいわゆるインナーマッスルや体幹部の運動を節約することができる。

もうお分かりだろうが、これがガニ股の原因である。

一度試してもらいたいが、つま先着地で歩いてみると一目瞭然で、太ももの筋肉や股関節を動員しているのが分かる。また、意外と気づいていないかもしれないが、実は裸足で歩いているときは無意識的にかかとから着地することはしない。

そもそもかかとが痛いし、地面との衝撃のインパクトが膝や腰にダイレクトに伝わるからで、靴を履いていなかった明治維新以前の歩き方はかかとではなく、つま先で着地するのが自然だったのだ。

進化の過程で二足歩行を選択した人間は大臀筋(だいでんきん=お尻の下)やふくらはぎの筋肉が他の動物より発達していったが、つま先着地だと中臀筋(ちゅうでんきん=お尻の上)が発達していく。

猫も犬も馬も、他の動物の着地はつま先。実は、人以外の動物は大臀筋より中臀筋の方がよっぽど大きい。大中小と大きさで名前が付けられているが、これは人を中心とした解剖学上の命名で、動物でいう大臀筋は浅臀筋(せんでんきん)と言って、名前の大きさの矛盾を回避している。

明治維新以前の日本人はつま先着地だったワケだが、昔の人のお尻は現代のプリっとした丸形ではなく、中殿筋が発達した褌がよく似合う四角い形をしていたという。当たり前ではあるが、生活習慣の変化に伴って身体的特徴が変化していっているのは面白い。

歩くことは生きること

歩くという行為で、千日回峰行という荒行を制した僧侶の塩沼亮潤さんが衝撃的だった。クレイジージャーニーで知ったのだが、話の内容の過酷さとスタジオトークでの気さくな感じのギャップがなんとも筆舌に尽くしがたい。

千日回峰行とは、往復48kmの山道をなんと1,000日間も歩き続ける。約1300年の長い歴史で達成したのはたったの2人だけ。途中で辞めることはできず、辞める時は懐にある短刀で腹を切って自決する。そんな制約と誓約をもって臨む、ただひたすらに歩く修行である。

そんな塩沼さんが現在広めようとしているのが「歩く瞑想」

瞑想自体はここ数年マインドフルネスの概念が浸透して、最新の脳研究などでの科学的な根拠も相まって市民権を得てきた。

グーグルの社員研修でも歩行瞑想が取り入れられているのが一時期持て囃されていたし、あのスティーブ・ジョブスも禅仏教に傾倒し、熱心なウォーキング信者だった。ソクラテスは弟子と散歩をしながら議論をしたという話が残っているし、哲学者のイマヌエル・カントも、住んでいた街を毎日1時間かけて散歩するのが日課だった。相対性理論のアインシュタインにいたっては裸足で海岸をよく散歩していたそうだ。

このように振り返れば、歴史に名を残した哲学者や科学者、音楽家たちが日課に散歩をしていた例を挙げればきりがない。彼らはみな移動式の歩く瞑想で、深い思考とクリエイティブ思考を刺激していた。


足の裏にはたくさんのツボがあり、体の臓器とも密接なつながりがある。

西洋医学は問題のある患部に直接アプローチしていくことに重点を置くが、東洋医学では血流や体の循環を大事にして患部ではなく、別の場所にアプローチして間接的に良くする。歩く瞑想はまさに東洋医学的なアプローチだといえる。

考え事をするときにジッと座って頭の中だけ巡らせるのではなく、歩くことで間接的に脳の神経細胞を刺激し、コペルニクス的転回のようなハッとした閃きを意図的に起こす。時と場所が違えど、歩くことの有用性に気付き、歴史的な偉人達はクリエイティビティを発揮させてきた。

さいごに

足と脳のつながりに纏わる話で、ここ最近、神楽(=神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞)の舞人が中々トランス状態に入れないということが起こっているらしい。そうなると、舞の迫力がなくなって観客も盛り上がらない。本来は踊っていく中で神や自然とのつながりを感じトランス状態になっていくもの。

では、なぜトランス状態に入れなくなったか、神社の宮司さんは舞の練習に車で来るようになってしまったからだと看破している。

これまで、行き帰りは歩きだった。行きはイメージトレーニングをしながらウォーミングアップ、帰りは仲間と意見交換しながら途中まで歩いて復習や意見交換をする。歩く時間の中で文字通り、踊りを体に沁み込ませてきたが、車移動で歩く習慣がなくなってしまったことで、本来のパフォーマンスが出せなくなってしまった。

本当のところ、因果関係は定かではないが、前段の話を鑑みるとあながち間違いではないと思ってしまう。

歩くことの意義、意味について、少しでも寄与できたらと思うが、個人的なガニ股の直し方は、歩き方や姿勢を矯正するのではなく、東洋医学的な観点からまずは筋トレをおすすめしたい。



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