美術館と墓参りの本質 ~13歳からのアート思考~

美術館と墓参りの本質 ~13歳からのアート思考~

先日、“13歳からのアート思考”という本をダイアモンド・オンラインの記事で見かけて、興味がそそられたのでさっそく読んでみたところこれがとても面白かったです。

本書の冒頭でとても響いた一説があります。以下の問いです。

私たちは「自分だけのものの見方・考え方」を喪失していることに気づいてすらいない。

話題の企画展で絵画を鑑賞した気分になり、高評価の店でおいしい料理を味わった気分になり、ネットニュースやSNSの投稿で世界を知った気分になり、LINEで人と会話した気分になり、仕事や日常でも何かを選択・決断した気分になっている。

しかし、そこに「自分なりの視点」は本当にあるでしょうか?

常識を覆してきたアートの世界観

本書は、芸術作品の見方やその素晴らしさを高尚なものとして解説する小難しいものではありません。13歳ぐらいを分岐として早々に美術から足を洗ってしまった大人たちに、クリエイティブの面白さ、楽しさといった好奇心の探求を“アート”を切り口に蘇らせてくれる本です。

本書のタイトルにもなっている「アート思考」とは、自分なりの、自分だけの答えを自らでつくりだす思考プロセスのことで、具体的にアーティストと呼ばれる人たちが目に見える作品を生み出す過程でしているのは以下の3つ。

  • 「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
  • 「自分なりの答え」を生み出し、
  • それによって「新たな問い」を生み出す

アートの歴史や著名な芸術家の背景に触れることはしますが、アートに詳しくなるためのものでは決してなく、どちらかというと社会生活を営むための実学に近いです。

非日常の刺激に触れ、想いを巡らせることで、自分なりの答えを創り出す“アート思考”を育てるための方法論には「自分が無意識で“勝手に作った常識”の枠」を取り払うヒントがたくさん詰まっています。


アートの世界ではこれまで何度も常識を覆してきた歴史があります。例えば、写真の登場によって、目で見たままをよりリアルに人がキャンパスに投影することの価値が問われるようになりました。

人生において、環境や情勢が目まぐるしく移り変わる現代社会に生きる我々にとって、既存の枠組みを疑い、時には自分にすら疑問を投げかけ、常に自身をアップデートしていくことは人生の重要なタスクだと言えます。アートにはそれらの“常識”を取り払う、日常を変える第一歩になり得る力があります。

実際に美術館に行ってみた

本を読んで分かった気になるのがもったいないと思って、つい先日、実際に美術館に足を運んでみました。美術館に行くのは人生で初めてです。

上野の森美術館で開催されていた『 なんでもない日ばんざい!』です。

特に見たかった絵があったわけでもなく、このコロナ禍でやっているところを探しました。この展覧会は、ディズニーアニメ「不思議の国のアリス」の原作である「鏡の国のアリス」に出てくる言葉をフューチャーしたもの。

展覧会のテーマですが、今の私の状況ととてもリンクしていたので一人で勝手に運命的なものを感じていました。

絵を見ることと墓参りはとてもよく似ている

少し変わっていると思われるかもしれませんが、私は墓参りによく行きます。祖父母、曾祖父母の墓が都内の霊園に複数あるので、それぞれ1年に1度は必ず足を運んでいます。何か転機や節目があると、1年のうち複数回行くこともあります。

これまでそれについて深く考えたことはなく、なぜかと聞かれても「ただなんとなく」という解像度の低い答えしかなかったのですが、今回、美術館に足を運んでみて絵をジーっと眺めている時にふと「あ、これ墓参りと似ているな」という感覚を覚えました。

静かで厳かな美術館の雰囲気の中で絵を鑑賞することと、たくさんの墓石に囲まれた霊園でお墓参り。環境と対象物は違えど、以前から事あるごとに墓参りに行っていたのは、自分の感情に耳を傾けて、内省をすること。すなわち自己との対話をしに行っていたのだということに気付きました。

インターネットによって世界が広がったという常識を疑う

一説によると現代人が1日に見聞きする情報量は平安時代の一生分であり、江戸時代の1年分に匹敵すると言われています。いやいや、平安時代の情報量ってどうやって割り出してるんだ、なんて疑問も湧いてきますが、まぁ言われてみると自分が見聞きする以外での情報取得に限られるので、インターネット普及以後とでは多大な情報格差があるというのは理解できます。

一方で、現代人が見る世界は平安や江戸の時代に比べて、より小さく狭くなっているような気がしてなりません。

パーソナライズされたアカウント、リコメンド機能、検索エンジンやSNSのアルゴリズム、リターゲティングなど、インターネットでどこにでも繋がることができて、情報の取得は大変容易になりましたが、暗に見たいと思ったもの(思われたもの)しか見せてくれないようになっている。果たして、それは本当に役に立っているといえるのでしょうか。

SNSをはじめとする情報コンテンツはユーザーにたくさん時間を消費してもらうことを目的として、サービスの設計がされているので、受動的に情報をただ受け取っているだけではどんどんと視野が狭くなっていき、いつしか自分の頭で考えることをしなくなっていきます。

そうなるといつも答えを他人や外側に求めるようになり、不安や疑念を感じたときにまた別の答えを外に求めるようになるのです。その証拠として、SNSが一般に広く普及した2010年以降では、極めて断定的だったり、強い否定系のタイトルの動画や本が世の中にたくさん溢れるようになりました。

重要なのは、能動的に情報を取りに行き、そこで新たな気付きや問いを意識的に生み出すこと。すなわち、自分の中に答えを求め、探していくことなのです。答えは人が与えてくれるものではなく、外に求めるものでもありません。実際にそういう思考を持って情報と向き合っていなかったことを再認識しました。

さいご

今の生活だって、仕事だって、生き方働き方も無数にある選択肢のうちのたった一つでしかなく、こうあるべき、こうでなくてはいけない、と自分が無意識で“勝手に作った常識”の枠に囚われてしまっていないでしょうか。

太っ腹なダイアモンド・オンラインさんが、全33回に渡って本書の要約版を記事化しています。1記事あたり2~3分程度でパパっと読める文量ですので、興味のある方は気になるタイトルのところを読んでみてください。 ダイアモンド・オンライン☞ 「13歳からのアート思考」記事一覧

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