先日、異業種交流会で「部下が仕事をなかなか覚えてくれない」みたいな話題になりました。
ふむふむ、よくあるアレだな。碌に教育もせずに「やらせたいこと」だけを押し付けて反発されてしまう、コミュニケーション不足を部下のせいにする大人の悪い癖系の話だな。と耳をそばだてていると、どうやらちょっと毛色が違う。
この話題の提供者は管理職の女性で、話を聞いている限り共感能力も高く物腰も柔らかい。最初に予想したコミュニケーション不和を起こしそうな人には見えません。指示の内容も「丁寧すぎるだろ!」とツッコミたくなるくらいに個性を尊重し、人によっては意図から理解させ、人によっては実践を先行し、かなり能力の高い管理者のようでした。
もちろん主観的な意見ですから、受け手がどう感じ取っているかまでは推察できません。ちょっと話を誇張している可能性もありますが、「伝えるノウハウ」という点ではしっかりしたスキルをお持ちの方だと感じました。
・覚えることを最小限に簡略化させる
・小さな業務から徐々に達成させる
・仕事の全体像をイメージさせながら業務を説明する
この他にも何点か自分なりの教育法を披露されていましたが、「それだけやって覚えられないのはその部下に問題があるのでは?」という結論に場が至るに十分な根拠のように思えます。
しかし、本当にその結論で終わってしまっていいのでしょうか?
言語的情報を記憶に定着させるには平均7回の接触が必要
管理職、もしくはアシスタントを指示する立場のプレイヤーであれば、同じような経験をされた方も少なくないと思います。かくいう私も過去に、いくら指示を工夫してもアシスタントに同じミスを繰り返されてしまうという経験をしています。
いやむしろ自分もアシスタント時代、そういった面で上司に苦労をかけていた場面を数々思い起こせます。
自分で言うのもなんですが、私は仕事の覚えが決して悪い方ではありません。主観的な意見なので怪しく感じられるかもしれませんが、同時期に入社した方々と比べ、極力相対的に見た自己評価です。
そんな人間であっても、最初は同じミスを繰り返すことがあります。どうしても抜けてしまう処理があったり、いくら気をつけても見落としてしまう箇所があったりします。
「人は新しい仕事を、平均して7回教えられなければ覚えない」
よくコーチングやマネジメントの分野では、こんなことが言われています。
勉強法にも応用されていますが、これは恐らく記憶の定着に関する研究が元にある知見。なので、あくまで「言語的な情報を記憶に定着させるには平均7回」ということであって、行動を伴う業務の覚えにそのまま適用するのは少し乱暴な気がします。
でも、例えば言語的な情報だと平均7回も聞かないと記憶に残らないんです。
違和感を抱く“習慣”の構築
業務上繰り返し起こってしまうミスの共通点は、習慣や性格に起因していることが多いです。
例えば、ちょっと傾いたままコピーしてしまった資料をそのままにしてしまう人がいます。
これを注意する際、「資料は傾かないようにして」とか「傾いて出てきたら給紙を確認してもう一回出して」などと指示しても大抵、次もまた同じミスをします。
これはなにも前回の指示を忘れているわけではなく、単にコピーされた資料の傾きまで気にする性格ではない、そういうことに気づく習慣がないのです。言われたことを100%常に意識の最前線に表出させて生活できる人などいませんから、資料を傾かずにコピーして欲しければ、そういう習慣づくりを手伝ってあげるしかありません。
傾いて出てきた資料に“違和感を抱く習慣”を作る。これはコーチングの応用的な考え方です。
この他にも、繰り返し起こってしまうミスの源泉をよく伺ってみると、その人の性格や習慣により、現時点ではほぼ避けられないことがよくわかります。その源泉を一足飛びにして、表面的な打開策をいくら懇切丁寧に説明しても、習慣がない故に起こるミスは無くなりません。
7回注意すれば良いのかもしれませんが、いかがでしょう?
2回も同じことを注意すれば、3回目はちょっとイライラしてしまいますよね。7回はかなり気の遠くなる回数です。
1度見ただけで知覚させてしまう業務UIのデザイン
知覚心理学者であるアメリカのジェームズ・ギブソンの提唱する概念に「アフォーダンス理論」というものがあります。UXデザインの世界ではあまりにも有名な知見なのでご存知の方も多いかもしれません。
これは、環境やモノが人に与える「意味」に関する理論。
例えば登山途中、休憩ポイントに膝くらいの高さの岩があったら、それを見て「座れる」と感じますよね。これは誰に教えられるでも、ましてや考えるでもなく、ただそう知覚しているだけのはずです。
このように、物理的なモノ自体が我々にアフォード(afford:与える)する意味のことを「アフォーダンス」と言います。
何度も言っていますが、人が言語的な情報を記憶に定着させるためには平均7回もの接点が必要になります。特に今まで持ち得なかった新たな習慣付けをしたい場合には、教える側にもかなりの労力が必要。正直言って大変です。
しかし、ギブソンがアフォーダンス理論を通して言うように、人には習慣や自我を超えた共通の知覚が存在します。
横文字だらけになってしまい申し訳ないのですが、認知工学を研究するドナルド・ノーマンという学者は、この理論を基に人の行動を適切に設計する体系的な方法論を「シグニファイア」という言葉で説明しています。
代表的な例でよく用いられるのはゴミ箱の口の形状。
缶やペットボトルを直感的に同じ形状の丸い投入口に入れてしまうというシグニファイアですね。
傾いて印刷された資料の話に戻りますが、例えばコピーした資料を方眼状の模様のついたクリアファイルに入れて提出させてみたらどうでしょう。傾いている事が一目瞭然でわかりますよね。無頓着な人間でも、一度説明すれば次回クリアファイルに入れた時点で確実に気がつきます。
人の行動を変えたいと思うのならば、まず直感的にわかり易い入り口を与えてあげた方が圧倒的なスピードで定着します。
論理的で筋の通った説明でも、記憶に定着するまでには平均7回言わなければいけませんが、アフォーダンスは1度見ただけで誰でも直感的に知覚できます。結果の良し悪しの説明が必要な場合でも1度教えればいいだけです。
さいごに
そもそもの話題の提供者である、管理職の方が披露した教育法。
・覚えることを最小限に簡略化させる
・小さな業務から徐々に達成させる
・仕事の全体像をイメージさせながら業務を説明する
コーチングのお手本のような丁寧な方針ですが、「覚えさせる」ことに主眼を置きすぎている事がわかると思います。つつがない業務の遂行を最優先に考えるのであれば、説明しなくても行動してしまう仕組みを作る方が圧倒的に効率的です。
「部下が仕事をなかなか覚えてくれない」
こんな悩みは常に、管理者につきまといます。しかし、部下の抱える問題や教育方法が抱える問題から一歩離れて、業務フローが適切に設計されているかどうかを見つめ直してみると、意外とシンプルに解決できるかもしれません。