それが無かったことにすら気付いていなかったものを世界に提供する

それが無かったことにすら気付いていなかったものを世界に提供する

「それが無かったことにすら気付いていなかったものを世界に提供する」

これはニューヨーク近代美術館の建築・デザイン部門キュレーター、パラオ・アントネッリの言葉だ。

編集者でもあり作家でもある彼女は、ロンドンの美大RCAから名誉博士号を授与されるなど多くの輝かしい経歴を持っており、カルフォルニア大学やハーバード大学で、デザイン史やデザイン論について教鞭を振るう一面も持つ。

そんな彼女のこの言葉は、自身のデザイン哲学を色濃く反映している。

アントネッリは、デザインを外観を整える行為とする誤解に対し強い憤りを持っている。曰く、デザインは人間の創造性の素晴らしい発露であり、それ(デザインを外観を整える行為)以上の概念であるのだと言う。

私も彼女の言の多くに共感、賛同している。デザインとは本来、意匠を施す技術のみを指すべきでなく、その発想を発露させるためのプロセスであったり、思考モデルなのだ。

そうした認知で改めて上述の言葉を眺めてみると、新しいものを生み出す、未開拓のものを発見する──すなわち『それが無かったことにすら気付いていなかったものを世界に提供する』デザイン能力というものは、デザイナーが持つ専門知識というより、ビジネスを成功させるために、あらゆる分野の人が繋げるべき思考回路と言える。



人はどのような不満に甘んじているのか

「それが無かったことにすら気付いていなかったもの」というのは普通、気づかない。無いことを認知していないのだから当然だ。

これは哲学の問答などではない。人は無いものをどうやっても観測することはできないし、研究者でもない限り観測できないものを在ると仮定する思考回路を育てている人間は極めて少ない。

ではどうやって「それが無かったことにすら気付いていなかったもの」を導き出せばいいのだろうか。

それを説明するために、世界の経済学者や経営者、マーケターなど多くのビジネス探求者たちは、『インサイト』『ジョブ』『潜在的ニーズ』など様々な名付けを行った。

言葉は違うが、これらの意味は概ね同じだ。
人は生活の中で、不満を認識していながらそれに甘んじていることが往々にしてある。

それはもちろん、解決が困難で費用対効果が見合わないとかいった実質的な理由もあるが、多くは、昔からの経験によって解決しないと決めつけてしまっていたり、それ故に自分の抱いている不満をそもそも言語化できていないという場合もある。

そしてそういった類の不満は、自分以外の人も同様に受け入れている。それも生まれてこの方ずっとだ。そうなってくると、それは仕方のないことだ割り切って生活するしかない。

じゃあそれは一体なんなのだろう。
人はどのような不満に日々甘んじているのだろう。

これを洞察することが、『インサイト』『ジョブ』『潜在的ニーズ』の正体であり、「それが無かったことにすら気付いていなかったもの」を発見する思考モデルの目的になる。

IDEOの大切にする共感できる能力

人が不満を感じながらもそれに甘んじてしまっていること、とはなんだろうか。

これを、世界一のデザインファームIDEOでは「左利きの人の身になる」という信条をもって全社的にスタンスを共有していると言う。

ビジネスの目的とは“問題解決”にあり、それを達成するには“問題”に気が付かなければならない。その根本の活動を促すという点において、素晴らしい教訓だ。

IDEOの活動の話を少し掘り下げる。

彼らは、そういった気づきを「見ること・嗅ぐこと・聞くこと」つまり、その場に赴いて感じること、共感することから得られるとしている。

当たり前のように思うかもしれないが、ビジネスの設計やマーケティングにおいて、顧客の感じている問題についての洞察は、大抵アンケートなどの定量的な調査によって行われることがほとんどだ。そんな中で、IDEOの掲げる現場主義的な洞察の思考モデルは極めて優れている。

なぜアンケートがダメなのかというのは、ここまで読み進めてもらっていればなんとなくお分かりいただけたと思う。

もちろんアンケートが有効な場面は山ほどあるのだが、こと「それが無かったことにすら気付いていなかったもの」を発見する目的ではほとんど意味をなさない。

無いものをどうやっても観測することはできないのと同様に、人は自分が甘んじてしまっている不満を言語化することはできないのだ。それ故に、聞いても答えることができない。当然、アンケートをいくら集めようと、統計からその答えに辿り着くことはできない。

その気づきを得ようと思うのならば、やはり「見ること・嗅ぐこと・聞くこと」を通じて感じること、また「左利きの人の身になる」かのように、自分とは異なる立場や属性の人々に深く共感すること、そして洞察していくしかない。

イノベーションは人が主体で無ければならない

イノベーションと呼ばれるような優れた問題解決は、人が主体でなければならない。

これまでに人類に大きな進歩をもたらしてきた様々なイノベーションは一見、高度な技術革新によって引き起こされたかのように見える。しかし、そこには──成功し、浸透した事例には必ず、利用する人々への洞察があった。

どれほど高度で新しい技術であっても、人にとってフレンドリーでなければ問題解決には至らないし、イノベーションとは呼ばれない。

ここでもう一つ、パラオ・アントネッリの言葉を紹介したい。

「デザインが無ければ誰も新しい発明を使うことができない。そうなれば発明は無益なものとなるだろう」

デザインという単語を使うと、その言葉の定義の広さから、少々読み解きにくくなってしまうが、これはすなわち『人がまだ言語化できていない問題への洞察』ということになるだろう。

イノベーションの価値は、いかに「それが無かったことにすら気付いていなかったもの」を提供できるかにかかっている。

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