即興的会議でグルーブを生むリーダーシップ【上】概念編

即興的会議でグルーブを生むリーダーシップ【上】概念編

突然だが、私は学生時代、バンド活動をしていた時期がある。

楽器のパートはエレキギターを担当していたのだが、その他にバンマス-いわゆるバンドのリーダー-として、チームをまとめる役職も担っていた。

最初は気の合う仲間で集まって既存の楽譜に沿った演奏をするコピーバンドだったのだが、その内もっと幅広い表現を求めるようになり、楽曲をゼロから制作し、それをライブハウスに売り込んで、観客に披露するといったように活動を広げていった。

世に数多あるバンドにおいて、作曲と一口にいっても、その方法は十把一絡げに語れない。

ただ基本的には、一人の作曲担当者が最初から完成音源として楽曲を提案するか、ゼロベースからメンバー全員でジャムセッション(即興演奏)しながらアイディアを広げていくか、もしくはその中間かの3つのパターンに分けられる。

私の所属していたバンドでは、最後の3パターン目を基本方針として採用していた。

具体的には、メンバーの一人がコード進行と主旋律、加えてAメロBメロといった大まかな構成の初期アイディアを持ち寄り、そこからジャムセッションでアレンジを肉付けしたり、構成を変更したりしながら、あーでもないこーでもないと、メンバー全員の参与で完成に近づけていく

そんな方法のせいか最終的に練られた楽曲は、最初の想定とは大幅に異なるテンポになったり、時には主旋律さえ変わってしまったり、途中でアイディアが分岐して2曲できてしまった、なんてこともあった。

こんなことを、およそ10年程度の短いバンドマン人生の後半4年弱は、飽きもせず熱中して続けていた。



楽譜を捨て去る新しい会議の在り方

企業においての会議の在り方とは-本来的な意義目的は別として-一般的に進捗の報告やプロジェクトのコンセンサス取得、担当分けの確認などの既に決まった、もしくは最終判定を行う場として活用されていることと思う。

そのような大きな会議ではなく、その中間にあたる小規模のものであっても、基本的には一人が独力でアイディア出しをし、骨子を定め、取捨選択済みの提案資料を発表するプレゼン大会に近い様相で執り行われている。

もちろんそういった形を真っ向から全否定する向きはない。

しかし、-恐らく私が生涯を通して提唱していくであろう-“集合的創造性”の強大な知性の力を体験してしまった立場から言わせてもらえば、現在主流とされているそういった会議の在り方は如何程かもったいなく感じる。

集合的創造性の基本コンセプトは“人と人との知性の交わりは関数である”ということに他ならない。

複数の人々のそれぞれの知性は、正しい場と正しい順序で関わらせることで、単純な足し算ではなく掛け合わされて、人数に応じて、それこそ指数関数的に増大していく。

それによって、一人の天才的イノベーターの存在などあてにせずとも、群の力で優れたアイディアを導き出すことが可能となる。

人と人とが交わる場、つまり会議には、そんな魅力的で絶大な可能性が秘められているのだ。

集合的創造性-耳馴染みのある言葉で“集合知”と置き換えても良い-を発揮するためには、一般的な会議の在り方を大幅に見直す必要がある。

一般的な会議の在り方とは、決まった楽譜を全員で一音たりとも違わないように演奏するといったものだ。

それをどう変容させよというのか、シンプルに表現するのならば、もっと即興的に、それこそジャムセッションを行うようなファシリテーションへとやり方自体を改めなければならない。

指数関数的に発想を増大させる

冒頭でも書いたとおり、私は学生時代の大半をバンドマンとして過ごした。

そしてその後半、高校を卒業してからの4年弱は、バンマスとしてメンバーを率いながら、共に楽曲制作に熱中していた。

「メンバーを率い」などと言っても、何か特別に指揮をしていたわけではなく、実際は広報や、ライブハウスとのやり取り、メンバーのスケジュール調整など、業務のほとんどは雑務。こと楽曲制作に限れば、あくまで担当するパートの中で責任を果たすことに従事し、ニュアンスの提案程度はしていたが具体的な指示はせず、あくまで対等な関係性を意識的に守っていた。

当時はこのような様々な制約を感覚で己に課していたのだけれど、今思い返すと、それらが“集合的創造性”へ効率的にアクセスする極めて優れた方法論だったことがわかる。

例えばメンバーの一人が急に、曲の解釈を揺るがしかねないアレンジを即興でねじ込んでくることがあった。というか楽曲制作の初期は、ほとんどがそういった突拍子もないアイディアのぶつけ合いになる。

いきなり変なこと、時には自分の手に余ることをしだすものだから、当然演奏をミスすることもあるしテンポも狂う。曲のベースとなるコード進行のスケールから外れて、不協和音になってしまうこともある。

だが、そのことに関して指摘するメンバーも、ましてや厳しく糾弾するメンバーもいない。むしろそのような挑戦を喜んで受け入れて、自らのプレイも呼応するよう変化させる。

そうくるなら自分はこうしてみよう。テンポが下がったけど試しにスローなメロディを合わせてみよう。ここは前に出たがってるな、それなら自分は一歩下がろうか、いや逆にこっちも印象的な旋律をぶつけて絡ませてみようか。

こんなことを、ジャムセッションを通じて延々繰り返していく。

初手は手放しで無条件に全てを肯定し、受け入れる。自分もその提案に乗り、どうすれば成立するかアレやコレやと試行錯誤する。どうしてもうまくいかないのなら、演奏を止めて指摘するのではなく、自分の思いついた代案を次の小節で提案し、攻守を交代する。

そうして、相互受容と検討のサイクルを回し続けていくと、極めて曖昧だった楽曲の全体像が、徐々にだが確実に、その輪郭を顕にし始める。

そしてそれは例外なく、当初の視座から見れば未知とも言える魅力を携えた、自分一人では想像だにしなかった一曲として姿を現すのだ。

ジャムセッションから得られるヒント

現在、バンドは解散し幾ばくかの時間がたった。私が楽器を演奏する機会も、結婚披露宴の余興くらいで、著しく少なくなっているし、楽曲制作に至っては全くしていない。

しかし、ビジネスの現場に全身を注ぐようになり、様々なクライアントの会議を外部のクリエイターとしてファシリテーションさせてもらう機会に恵まれるようになり、バンマスをしていた当時のアレコレは、自分で思うより余程価値のある体験だったのだと実感している。

もちろん、楽曲制作におけるジャムセッションを、加工もせずそのまま企業の会議に転用することはできない。

部長はドラムで課長はベースを弾いてくれ、などと会議に楽器を持ち込んで非言語下のコミュニケーションを楽しもうみたいなこと-それはそれで面白そうだが-を言うつもりもない。

ここで重要なのは、会議を即興的に進行して、“集合的創造性”へ効率的にアクセスする方法論として、ジャムセッションから多大なヒントを得られるという点である。

勘の良い方は、ここまでで既に何かピンとくるものがあったかもしれないが、次回の実践編では具体的に、ジャムセッションから学べる、“集合的創造性”にアクセスする“場”をファシリテートする方法、プロジェクトメンバーの知性を最大活用する“即興的会議”について、輪郭を明らかにしていきたい。



次回、12/16更新:即興的会議でグルーブを生むリーダーシップ【下】実践編へ続く。

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