世界のビジネスリーダーたちはなぜ“日本庭園”に引き寄せられ“茶の湯”を学ぶのか

世界のビジネスリーダーたちはなぜ“日本庭園”に引き寄せられ“茶の湯”を学ぶのか

数年前、古物商を営む友人の買付けの同行で中欧に赴いた際、余暇でシェーンブルン宮殿に立ち寄ったことがある。

シェーンブルン宮殿は、オーストリアの首都ウィーンにあるハプスブルグ家の離宮。美しいバロック建築と優美な庭園、贅の限りを尽くしたインテリアが魅力的な中欧有数の観光地で、ユネスコ世界遺産にも登録されている。

特に、広大な土地に彫刻と見紛うほどに成形された庭園は筆舌に尽くし難く、これぞ西洋の美と言わんが如き美しさだった。

ヨーロッパの庭園は基本的に左右対称、シンメトリーで設計されている。

これには、自然を人の手で完全にコントロールした人工的な美を追求するといった民族・文化・思想的背景がある。そして、その完成された美を宮殿や居城などの少し高いところから眺めるというのが彼らの庭の楽しみ方であり、そのため自然には存在しないシンメトリーという形になる。



独特な日本の庭園

一方で日本の庭園は、桂離宮や浜離宮、兼六園などを見てわかるように、全く異なるアプローチで庭を設計していることがわかる。

我が国における庭園とは、その中に自ら入り込み歩きながら眺め楽しむものだ。我々日本人にとっては当たり前のことと思ってしまうが、回遊式庭園と呼ばれ日本独特の様式とされている。

その他にも、借景と呼ばれる造園技法がある。これは庭の外にある遠くの景色までも庭の一部であるかのように見せる技法で、これもまた日本や中国、東アジア独特の様式だ。

ヨーロッパの造園が“自然をいかにコントロールするか”といった方向に偏重しているのと比して、日本の造園は“自然といかに調和するか”という点に重きを置いている。そのためもちろん日本庭園にシンメトリーはない。

ヨーロッパの庭園が“彫刻のように成形された完成品を上から眺めて楽しむ”ものである一方で、日本の庭園は“自らがその中に入り込み回遊することで、その過程を楽しむ”ものとされている。

どちらの美がより優れているかといった議論をするつもりはないけれど、この対比は実に面白いと私は思う。

“茶の湯”という体験

鎌倉時代以降、日本の大名の間で流行したもてなしの文化に“茶の湯”というものがある。

その内容は基本、湯を沸かし茶を点て振る舞うというごくごくシンプルなものなのだが、長い歴史の中で様々な工夫、様式が育まれ「茶道」として昇華された。

茶の湯の隆盛は、安土桃山時代から江戸時代にかけて、戦国の世に千利休という茶人の手で極められた。そういう時勢であったがため、茶の湯のもてなしとは、単に気の許せる仲間に向けられたものというより、対立する大名との和解や自らの力を誇示するためといった政治的な利用が主とされた。

千利休の数多あるエピソードを見ていると、御仁の類稀なる美的センスに注目してしまいがちだが、茶の湯の本質とはそんな時勢に育まれたが故、そういった客人に対する総合的なホスピタリティに見ることができる。

茶の湯は、「一杯の茶を飲む」というゴールの前の様々なプロセスを大切にする。

茶を点てる所作、茶菓子や茶器をはもちろん、茶を振る舞うロケーション。それら全てを通して“茶の湯”というもてなしが完成する。茶の湯とは茶を嗜む文化ではなく、茶を飲むまでの様々な体験をパッケージングした総合的なもてなしの文化なのだ。

これは上述した庭園の話に繋がるところがある。

日本庭園は、ヨーロッパの庭園のように完成された庭を絵画のように上から眺めて楽しむのではなく、自らがそこを回遊する体験によって楽しめるように設計されている。茶の湯もまた、茶がいかに美味かだけでなく、経緯も含めた茶を飲むという体験を楽しめるよう設計されている。

モノ消費からコト消費

近頃、「モノからコトへ」というキャッチフレーズに現されている通り、モノ消費からコト消費へと、現代人の消費行動は遷移している。

スターバックスコーヒーは、提供するコーヒーの味というよりも、独特なオペレーションなどそれを提供する方法や、居心地のいい空間、新しい日常や第三の居場所の提案など、総合した体験を重視したブランディング設計で成功を収めた。

六本木にある本屋の文喫は、本を手に入れるというゴールの前にあるプロセスを提供するというコンセプトで、本屋に入場料を設けるという一見非常識な提案をしたが、消費者はその体験に価値を見出し、こぞって料金を支払っている。

AKB48の隆盛から見る日本アイドルの在り方は、1980〜2000年代初頭における絶対的スターという形から、それよりももっと身近な存在になった。そしてファンは、完成品を消費するのではなく、応援という形でアイドルがスターになるプロセスそのものに参加するという消費形態をとるようになった。

デンマークの玩具会社LEGOは、ユーザーの作品投稿や意見交換などのコミュニティ形成をオフィシャルで行い、時には新商品の開発にまで参加してもらい、その開発工程を体験してもらうというかなり先鋭的な消費者参加型マーケティングを実現し、多くの熱狂的なファンを獲得している。

他にも調べれば調べるほど、似たように解釈できる事例は溢れるほどある。確かに“モノ”が売れづらくなった現代、消費者の興味は“コト”に向かっていると言っていい。

日本文化からのヒント

モノ消費からコト消費へと移り変わる市場環境の中で、日本の回遊庭園や茶の湯といった日本文化的思想・着想は極めて大きなヒントが隠されている。

例えば、一方的にコントロールするのではなく、調和させるという完成があることがわかる。需給者を明確に分けずに共に価値を作り上げていくという方針は、茶の湯で言うところの「主客一体」にも学べる。

提供するそのもののクオリティだけではなく、その提供プロセスにも価値を認めることができるし、むしろそちらにこそ高い価値を創造するチャンスが多い。完成品を楽しむという価値観の他に、自らが参加し過程を楽しむという価値観がある。そう考えるとむしろ未完成品の方が価値が高いと言えるかもしれない。

スターバックス、文喫、AKB48、LEGO、これらの事例はコト消費への変遷の突端に過ぎず、まだまだ発展途上の産物だろう。

これからますます、モノの価値が低下・均一化し競争力を失っていく一方で、その提供方法や在り方といったコトの価値が高まり、その工夫によって容易に競争優位に立てるようになっていく。

これからの消費はどこへ向いていくのか、どうすれば付加価値を創造できるのか。そんなことを思いながら日本文化を学ぶと、極めてイノベーティブなヒントが隠されている。

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